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October 21 杭州・良渚博物院―中国雑感〔3〕―杭州へと結婚式参席のため旅行しました。式の前日、2009年10月17日(土)、を利用して、博物館見学をしてきました。それも日本からの観光客はまず行きませんが、世界史的に見ても歴史的価値のあるところです。これが「良渚博物院」です。今回は本院を紹介します。 良渚博物院は、2008年9月29日、開館しました。開館時間は9時~17時(月曜日休館日。但し祝祭日は開館)で、入場無料です。住所は杭州市余杭区良渚鎮美麗路1号(美麗洲公園内)です。最寄りの市内バス亭は旧国道104号上の「良博站」で、市内からは武林門北站発瓶窰南站行のK348路(4元)で来れます(私は卒業生のマイカーで来たので、良博站からの距離・道は不分明ですが、国道から南に山側に行きます)。「良渚文化」の命名遺跡である、良渚遺跡区に建設されたのが本館です。杭州市中心の西湖から北北西に位置し、車で半時間あまりの所です。 良渚文化は、約8000年前の河姆渡文化や跨湖橋文化の後を追う、長江下流域の新石器文化であり、長江文明の一角をになうものです。江蘇・浙江両省にわたる長江デルタで、長江と銭塘紅に夾まれた地区に遺跡が集中的に分布し、約5250~4150年前のものであり、この中核が莫角山遺跡を中心とする良渚遺跡区です。本遺跡区は、1936年に最初の発掘がなされ、1959年に良渚文化と命名され、1998年に中国重点文物保護単位に指定され、余杭区良渚・瓶窰の両鎮にわたっています。そして、2007年、発掘調査により、莫角山遺跡などを囲い込む城壁が確認され、祭壇と城壁を持つと古代都市遺跡であることが分かりました。 本館は、基本的に良渚遺跡区の発掘遺物(玉器・陶器・石器・木器など)と往事の生活再現パノラマが本館の展示の中心となっており、三つの展示室、展庁一「発現求真」、展庁二「良渚古国」、展庁三「良渚文明」からなっています。写真1は本館への入口と建物です。 展庁一「発現求真」は、1936年の最初の発掘から2007年の城壁発掘にいたる考古学的成果を展示するとともに、陶器・石器などの発掘遺物を展示し、本遺跡と良諸文化の知識が得られるようになっています。写真2は、展示の終わりの方にある、良渚「古城」遺跡のジオラマで、東西約15~1700m、南北18~1900mの城壁(底部は砕石で、幅約4~60mもある大規模なもので、土積の城壁残存高4m強)が、莫角山遺跡(祭祀基壇)を核として四囲に構築された、面積約290万㎡の中国最大の古代都市遺跡であることを示しています。
展庁二「良渚古国」は、農耕・陶器制作・玉器製作・木材加工・建築・紡織などの生活パノラマ展示があり、その中心に祭祀基壇建設(莫角山)のパノラマ、すなわち写真3に見るものがあります。高みに首長(「王」)が立ち、この後ろに従者がひかえ、指示を与え、人々が建設に励む姿が示されております。写真には写っていませんが、「王」の後方には武器を携えた兵士がひかえています。また、玉管串などの装飾品の展示もあります。これらにより、往事の社会と人々の生活が分かるようになっています。
前の二つの展庁にも遺物展示がありますが、展庁三「良渚文明」は、本遺跡発掘遺物を基本として、玉器・陶器・石器・木器・織物など千余点を展示されて、遺物展示の中心となっています。特に、本遺跡は玉器に優れ、各種の玉器が多数展示され、目を楽しませてくれます。まず写真4は玉琮です。ご覧のように、玉琮の四隅に神人獣面紋の線刻装飾がなされています。この神人獣面紋装飾は本遺跡遺物玉琮に見られる特徴で、ダイアモンドなどのないところで、如何にこの装飾をなしたか不可思議なことです。
写真5は、本遺跡遺物の白眉である、刻紋玉璧で、本館で初めて公開されたものです。写真ではお分かりになりがたいですが、玉璧上部に刻紋(図形符号)が刻まれており、これを拡大鏡で見られるようになっています。玉琮とならんで玉璧も遺物の中核を占めるものとして多数の逸品が展示されています。
写真6は、玉三叉形器です。面上に線刻があり、これも拡大鏡で、神人獣面紋の装飾を見ることができます。本写真ではコントラストが弱いため確認しづらいでしょうが。以上のほか、玉鉞・玉串飾・玉管・玉鐲など各種の玉器が展示されおり、良渚文化が玉器で満たされていたことが分かります。
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