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August 09 武田氏躑躅ヶ崎館跡―歴史雑感〔9〕―甲府市に所用があり、時間に余裕があったので、酷暑の中、武田氏躑躅ヶ崎館跡(武田神社・山梨県甲府市古府中町、甲府駅北口発山梨交通バス武田神社行180円)に足を運びました。 躑躅ヶ崎館は、1519(永正16)年、武田信虎が石和川田館(甲府市川田町)から移転し築いたものです。その後、1581(天正9)年に孫の武田勝頼が新府城(韮崎市中田町中条)に移るまで、信虎・晴信(信玄)・勝頼三代の居館となり、63年間にわたり戦国大名武田氏本拠として位置したのです。武田氏期の本館は、約200m四方の主郭を中心に、その後に築かれた、主郭の西側に接する西曲輪(1551〔天文20〕年増築)、西曲輪の北側に接する味噌曲輪(西曲輪・主郭に接する稲荷曲輪を含む)、主郭の北側東部に御隠居曲輪・無名曲輪(晴信母大井夫人居所と考えられ、古図には記載がなく、近年の発掘で確認される)からなっています。御隠居曲輪部を除くと、本館の各曲輪は土塁と深い堀を巡らしています。本館は背後に山を背負い(この山上に詰城の要害山城が築かれています)、南へのゆるい傾斜平面地に立地しており、室町時代の守護館を受け継ぐ、典型的な戦国期複郭平城の縄張りとなっています。 写真1左は、武田神社南正面右(東)から堀にかかる「神橋」越しに入口を撮ったものです。武田神社は主郭に位置しています。実は主郭には南側の堀にかかる橋はありませんでした。ですから、神橋などは神社創建後のものなのです。 さて、橋を渡り南参道を進むと、写真1右の武田神社拝殿に出ます。拝殿の右手(東)に進むと、宝物殿(入場料300円)があり、武田氏関係の神社所蔵の武具(国宝楯無鎧〔レプリカ〕)などが展示されています。 宝物殿を過ぎ、さらに進むと大手門に出ます。車はこちらから神社内の駐車場に入れます。写真2左は、大手門土橋右外(北)から大手門土橋を撮ったものです。ここの堀は10mあるかといえる深いものです。現在では土橋北側は水がない空堀で、南側は水堀となっています。この躑躅ヶ崎館の大手門は主郭の東側に作られています。さらに、発掘調査により、土橋の東には三日月堀が確認されており、防御力の強化を図ったことが分かります。本館では堀を渡る橋は、この大手門のみならず、すべて土橋となっています。なお、現在、大手門外東地区は公園整備中です。 大手門から堀に沿って、北へ進むと、主郭北東角から北にかけて公園整備がなされ、道が主郭北側堀に沿って西に延びており、これを進むと、西曲輪に入る土橋に出ます。ここから西曲輪に入り、この東北角の土塁高台上から、南に主郭と西曲輪を隔てる堀を撮ったのが写真2右です。 先の土橋に戻り、さらに道を進むと、西曲輪西北角に出ます。ここで積翠寺への道路に出ます。ここで南に道路を下ります。左には堀が続きます。やがて西曲輪西南角に出ます。南側の堀に沿って進むと、堀にかかる「みその橋」に出ます。かつての土橋のところで、現在は木橋となっています。この橋から西曲輪に入り進むと、に見る主郭への土橋に出ます。写真3左は、西曲輪から土橋越しに主郭を見たもので、主郭の門の両側に木々に覆われた土塁が見えます。 最後の写真3右は、主郭東南角より神橋へと南側の堀を木々の間から撮ったものです。以上で、躑躅ヶ崎館跡は終わりですが、この四囲を巡ることもでき、十分に往時の戦国大名武田氏本拠を偲ぶことができるでしょう。
August 02 CA421便での成都搭乗・北京経由手順―成都雑感〔71〕―「成都双流国際空港での国際線搭乗―成都雑感〔16〕―」(2006年5月6日付)で、北京経由成田行CA421便での成都双流空港の搭乗手順と北京首都空港の経由搭乗(トランジット)手順を述べました。この春北京空港では新ターミナル―第3ターミナル(T3)が完成し、これに伴い、中国国際航空は全便T3発着になりました(従来はT2)。したがって、北京空港でのトランジット手順が変わりました。それで、改めてCA421便での手順を述べます。
(1)成都双流空港での搭乗手順 成都双流国際空港は西南地方最大の空港として国内外の各都市への便が出ています。ターミナルビルは山の字型のスタイルで、山の字の底辺部2階がチェックインカウンターなどのある入口となっており、縦の3本棒が発着ウイングとなっており、入口正面から見て、左及び中央のそれが国内線発着用、右のそれが国際線発着用となっています。したがって、横に直線に延びるターミナルビルの右側部分に国際線が位置しています。国際線には日本への発着便もあります。2008年春現在、中国国際航空のCA421便成田行(北京経由)とCA151便関空行(上海経由)です。そこで、その搭乗までの流れを説明したいと思います。 両便とも経由便なので、その流れは同じで、次の6段階になります。 ①税関検査 ②搭乗手続き ③待機 ④安全検査 ⑤搭乗待合室待機 ⑥搭乗 搭乗手続き(チェックイン)は出発時間の90分前から始まりますので、その時間になると、入口の係官が航空券確認(基本的にe-チケットですから、領収控など)の上で入場できます。その前に、別送品などがあり税関申告の必要な場合は、入口前の左側に設置されているデスクで税関申告書(用紙もそこにおいてあります)の記入を終えておくといいでしょう。そして、①税関検査となります。申告すべき物がない人は緑道(グリーンランプ)に進めば、荷物(トランクなど)をX線検査にかけて問題がなければ、それで終りです。申告品のある人は、当然ながら、赤道(レッドランプ))に進んで、手続きと検査を行ないます。この場合はもちろん税関申告書の提出が必要となります(最終の提出は北京空港で行います)。 税関検査が終われば、その右側にチェックインカウンターが並んでいますから、その掲示を見て、搭乗便のカウンターに進んで、②搭乗手続き(チェックイン)を行ないます。この時必要な物は、現在はe-チケット化しましたから、旅券です(領収控など、搭乗便の情報を示すものがあったほうが、スムースに進みます)。手続きが終われば、搭乗券(ボーディングパス)と共にワッペンをくれます。経由便ですから、経由地まで国内線旅客と混乗になるので、国際線旅客を区別するためのワッペンです。ですから、経由地で搭乗が終わるまでは決してなくさないようにし、目立つところに張っておきます。 チェックインが終わると、右側奥へと進み、中国辺防検査站(イミグレーション)の手前で③待機することになります。この待機はチェックイン開始から30分程度以上ありますから、結構長いです。経由便の場合は、最終出国地(経由空港)で出国手続きを行なうため、成都空港では安全検査だけです。その安全検査への通路は左側の窓際に別にあります。この入口の手前に椅子があり、前方は全面ガラス窓で空港を一望でき、ここで待機します。この待機があることが直行便でない経由便の留意点です。なお、トイレは中国辺防検査処の手前右側にあります。 チェックイン締切り以後に、係員の案内により、安全検査入口前に整列し、その後④安全検査への案内・誘導を行ないますから、その誘導にしたがって、旅券・ボーディングパスを提示して、安全検査を受けます。安全検査を終えて、左手に進むと、ここが搭乗待合室のウイングとなります。ここには免税店・売店・喫茶店・喫煙室(中国の空港ではこれ以外は全面禁煙)などがあります。ただし、空港の物価は、例えば陳麻婆豆腐の素が12元(イトーヨーカドーなどのスーパーでは7元以下)というように、市価に比べて高価です(空港内施設の料金はすべて高価です)。ですから、成都でのお土産は市中で求めるのがよいかと思います。 現時点では、CA421便はボーディングブリッジに接続していてもバス移動が基本ですから、搭乗口は1階のA2・3が基本です。案内板掲示にしたがって、左手の階段を下ります。ここで⑤搭乗待合室待機となります。先の待機時間があったため、ここでの時間は短いですから、2階のウイングを動き回ったりしないでほうがいいです。係員が搭乗の声を出すと、⑥搭乗となります。ボーディングパスを出して半券を受取り、搭乗となります。この時受取った半券は決してなくしてはいけません。それは、経由地でのトランジットボーディングパスの受取りに、それが必要になるからです。バスに乗り航空機へと向かい下車後、係員の指示にしたがって搭乗です。CA421便の機材はボーイング757-200です。この機は旧中国西南航空からのもので、最新のものでなく国内線と共用機材です(基本的に成都・成田便はそうなっています)。ですから、片側3列でシートピッチは78㎝と狭く、成都北京間が約2時間・北京成田間が約3時間であることを考えますと、通路側に席を取ることをお勧めします。
(2)北京首都空港での経由搭乗天順 T3はこの3月に完成し、使用開始したばかりの新ターミナルで、世界1の規模を誇る施設です。ですが、T3使用に伴っても、CA421便は現時点では相変わらず沖止めを基本とするようです。この場合の手順は、次の流れとなります。 ①T3へのバス移動 ②出国検査 ③安全検査 ④搭乗待合室待機 ⑤搭乗 まず、①T3へのバス移動です。手荷物類をすべて持って降機します。この際、成都でのボーディングパス半券がすぐ出せるように用意してください。沖止めですから、降機はタラップになります。タラップ下に東京の案内板を持った係員がいます。この係員にボーディングパス半券を示して、北京空港のトランジットボーディングパスを受け取ります。これには手書きで便名(CA421)・搭乗口が書かれていますから、確認してください。受け取ったら、係員の脇で待機します。この過程で、大勢の客(ほとんど中国人)にひかれて、直接バスに乗ってはいけません。これは成都・北京の国内線客用のバスで、T3Cの国内線出口へと行ってしまいます。こうなると、行方不明客と航空会社に認識され、大変な迷惑をかけることになり、手続き的にも時間的にも再搭乗が無理となると心得てください。待機して、係員が東京行の乗客数を確認できると、係員がバスに誘導します。バス入口に別の係員がいて、乗車に際して、ボーディングパスを確認し、新たなワッペンを成都でのワッペンの上に張ります。これで乗車できます。T3に到着すると、係員の指示・誘導に従って、2階へと上がります。以上で①T3へのバス移動は終了です。 上がったところの前方が中国辺防検査処(イミグレーショ)です。これは通常の国際線客用のイミグレーションで、北京空港で乗る国際線客と一緒になります。ここで②出国検査を受けます。このとき、パスポ-ト・ボーディングパス半券(成都)・トランジットボーディングパス(北京)・出国カードを提出します。無事に出国スタンプを押されると、検査は終わりです。 さらに前方へと進み、③安全検査となります。ここでも同様に係員にパスポ-ト・ボーディングパス半券(成都)・トランジットボーディングパス(北京)を提出して検査を受けます。当然ながら、手荷物類はⅩ線検査機を通し、自身も検査機を通過しますから、この用意をしておいてください。安全検査が終わると、その前方が税関検査場ですから、申告の必要のある方はここで税関申告書を提出して手続きをします。申告の必要のない方はそのまま通過します。以上ですべての検査は終わりで、搭乗待合フロアーに入れます。なお、安全検査は北京からの搭乗客用の通常の所ですから、成都空港の国際線待合フロアで購入した液体品類は1個100cc以下のものは没収と心得てください。 正面にインフォメーションが見えますが、このあたりに係員がいて東京の案内板を持っていますから、その案内に従って搭乗口に移動します。今回は「E-57」と記されていました。これは「E-57~59」の1階の沖待ち用の搭乗口を示しています。インフォメーションの左手に通路を取って歩くと(5分くらい)、「E-57~59」への案内掲示がありますから、ここで1階に下ります。そこが待合室ですが、ここまでに時間を要するので(半時間は)、すでに搭乗が開始されていま。それで、実際には④搭乗待合室待機はないと考えてください。ですから、搭乗待合フロアーには免税店など各種の施設がありますが、ここによる時間はないと思ってください。すでに搭乗が開始されていますから、トランジットボーディングパスを提示してバスに乗車してください。これで先に降機した同じ飛行機へ⑤搭乗です。 なお、北京空港T3案内図(商店配置など)は、『北京首都国際機場』サイト(http://www.bcia.com.cn/)の「T3専題」のタブ「多功能登場機橋9」をクリックして出るページ(http://www.bcia.com.cn/swf/menu/index.jsp?nowsmenu=101)で、「旅客服務」をクリックしてから左側に表出される各ターミナルの「3 3号航站楼」を選べば、T3の各階の案内図を選んで図示できます。ここではT3Cが国内線、T3Eが国際線です。もちろん中国語ですが。 また、全日空のサイトに北京空港案内(http://www.ana.co.jp/int/checkin/airport/bis/index.html)がありますから、この案内図も参考にしてください。 July 18 夏休み帰国 本日(7月18日)、夏休み休暇の帰国をします。 例によって、北京経由の中国国際航空です。 ですが、経由地の北京空港は今春より第3ターミナル開設と、 7月からの成田空港第1ターミナル南ウイングへの移転と、 従来とは異なる点があります。これらをしっかりと見てこようと思います。 成都への戻りは、新学期開始が9月10日(月)ですから、8日に予定しています。 July 05 2008年度前期記事目次2008年度前期(1月~6月)の記事目次を掲載します。なお、前回までの記事目次は「ブログ開設1周年記念・記事目次」(2005年11月24日)、「2005年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2006年前期記事目次」(2006年6月30日)、「2006年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2007年度前期記事目次」(2007年6月30日)、「2007年度後期記事目次」(同年12月31日)です。
01.06 寛巷子―成都雑感〔55〕― 01.12 冬休み帰国 03.02 成都に戻る 03.06 成都イトーヨーカドーのエレベーター表示―成都雑感〔56〕― 03.08 成都伊勢丹に「とんかつ和幸」オープン―成都雑感〔57〕― 03.17 本日の春熙路―成都雑感〔58〕― 04.04 中国の祝日―中国雑感〔1〕― 04.14 龍馬古城宝墩遺跡―成都雑感〔59〕― 04.30 停電のイトーヨーカドーと成都伊勢丹―成都雑感〔60〕― 05.01 メーデーの成都市人民公園「鶴鳴茶社」―成都雑感〔61〕― 05.12 成都市地震で揺れる―成都雑感〔62〕― 05.14 四川汶川大地震3日目の西南交通大学九里堤キャンパス―成都雑感〔63〕― 05.15 四川汶川大地震4日目の西南交通大学九里堤キャンパス―成都雑感〔64〕― 05,16 四川汶川大地震5日目の西南交通大学犀浦キャンパス―成都雑感〔65〕― 05.20 四川汶川大地震9日目の西南交通大学九里堤キャンパス―成都雑感〔66〕― 05.21 四川汶川大地震10日目の西南交通大学キャンパス、事実上の休講へ―成都雑感〔67〕― 05.31 中日“四川汶川大地震“災害修復与重建技術交流研討会―成都雑感〔68〕― 06.10 「奥州合戦」における鎌倉幕府軍の構成(その1)―歴史雑感〔8〕― 一、東山道軍の交名一覧 06.17 寛窄巷子歴史文化保護区修復竣工オープン―成都雑感〔69〕―
July 01 続・日本文化分野での卒業論文題目―成都雑感〔70〕―6月30日、卒業式も終え、4年生は学巣を飛び立っていきます。そこで、「日本文化分野での卒業論文題目」(2005年5月17日付)から3年経ちましたので、これ以降の論文題目を付け加えて、改めて私の指導担当した卒業論文全題目を提示します。7年間で、全38編(2002年7編・2003年6編・2004年5編・2005年6編・2006年4編・2007年5編・2008年5編)です。
〈経済関係〉6編 戦後日本経済の高度成長の要因としての科学技術 日本における終身雇用制 松下電器の分析から終身雇用の未来を見る―改革は破壊ではなく、再伸である― バブル経済下の日本経済 90年代後半の日本単身世帯の消費行動 90年代後半以降の日本の対アセアン貿易政策の変化 〈経済文化関係〉3編 伝統的心理の日本の企業文化への影響※ 日本の企業倫理と社会的責任※ 日本企業文化の儒教思想とその利害※ 〈社会関係〉8編 「家」から見た日本人の集団意識 戦後日本の家庭構成の変化 現代中日女性地位の比較 中日高齢者生活の比較 日本人の清潔と清潔感 現代日本人の自殺について※ 日本のコメ保護政策※ 日本の自然災害と日本人の性格について※ 〈教育関係〉1名 日本の小学校教育 〈宗教・思想関係〉6編 仏教思想の日本人生活への影響 中日死生感の比較 盂蘭盆会と日本人の死生観 戦後における日本人の宗教意識変容について 江戸時代の儒学思想とその影響 中江兆民の見る西洋自由民主主義とその儒学の必然性※ 〈文学関係〉3編 『個人的な体験』から見た大江健三郎の心霊の遍歴 中国での村上春樹ブームの原因の考察―『国境の南、太陽の西』をめぐって― 夏目漱石の「こころ」から見た「自己本位」思想※ 〈マンガ関係〉2編 文化としての日本マンガ 中国青少年に対する日本漫画の影響※ 〈言語文化関係〉4編 日本の若者語考 中日外来語の比較 日本語色彩語の研究※ 日本語における婉曲表現とその文化的背景※ 〈その他〉5編 中日古典庭園芸術の比較 中日酒文化の比較 現代日本の歌舞伎と中国の京劇※ 曹操と織田信長の比較※ 東山魁夷の作品における日本的輝く生命の姿※
以上です。※は2006年以降の卒論題目です。なお、この年から経済関係が論題から外されたため、この関係が経済文化関係となりました。ともあれ、時代的には古代から現代、分野的には経済・社会・思想・歴史・文学・言語などと多岐にわたっており、学生の関心の広さを示しています。 June 17 寛窄巷子歴史文化保護区修復竣工オープン―成都雑感〔69〕―「寛巷子―成都雑感〔55〕―」(2008年1月6日付)で紹介した寛窄巷子歴史文化保護区の修復が一応なり、6月14日(土)、中国文化遺産日に合わせ、成都市は「守望家園―寛窄巷子歴史文化保護区修復竣工并対公衆開放」儀式を行い、市民に開放されました。四川汶川大地震から1か月あまりを経て、成都市観光の再開を盛り上げるイベントでもありました。この寛窄巷子は、成都市中心の天府広場から西に約1キロ余、蜀都大道の金河路の北に位置し、長順上街(東)・下同仁路(西)に東西を挟まれた、北から順に寛巷子・窄巷子・井巷子という3本の小街路からなります。この辺り一帯は清朝時代に満州八旗の居住したところで、少城と称されており、清朝時代の支配層地区で、現在でも清朝末期・中華民国期の四合院造の住居などが残っています。いわば昔の成都を偲ばせる街です。ここは2004年から新観光スポットとして再開発されると同時に、街並み保存して保護を加えたのです。この点で、武侯祠隣の錦里とは異なります。なお、最寄りのバス停は長順上街站(62・70・93・163・340路)です。 この日はちょうど4年生の卒業論文答弁会と重なりましたので、翌々日の16日に出かけてみました。月曜という平日にもかかわらず、市民で賑わっていました。保存・保護と同時に、観光スポットとしても再開発されて、レストラン・茶館・喫茶店・土産物店などが軒を連ねて開店しました。まだ、窄巷子などでは工事が完成しておらず、これから開店する店もかなりあります。その一つが、武侯祠隣の錦里にも出店している、スターバックスコーヒー店です。錦里と比較してみると、こちらの方が広くゆったりとしていますが、今のところ小吃類は少なく、これらの食べ歩きは劣ります。 さて、写真1左は、長順上街から寛巷子へ入って少し行ったところ、南面の「寛巷子」額のかかった民家です。ここのように門扉には彩色された絵が修復再現されています。 さらに少し行くと、北面に「徳門仁里」とある四合院造り2階屋があります。ここは、李家の民居で、家具調度などを整え、1935年当時の様子を再現しています。写真1右はこの様で、これは2階奥東側の「長輩房」、すなわち李家主人の父の部屋を再現したもので、ご覧のように成都人の好む麻雀を打っているところです。主人夫婦と父の3人麻雀です。 写真2左は、その茶を喫させるところの一つ、「茶馬古道」です。これは李家の四合院とは異なり庶民の2階屋で、再開発以前から住民が営業していたお店です。このように、路上で竹椅子にゆったりしながら茶を喫して、成都庶民の生活が味わえるところです。別のところでは、やはり麻雀を打つグループを見かけました。なお、茶馬古道とはチベットへの古の街道で、茶を運搬したことから名がおきました。 最後の写真2右は、窄巷子の西側辺の北に面する民家です。ここは現に住民がおり、門横の塀には、「参観謝絶」の掲示が出ています。過半の民居は店や展示館へと変わりましたが、このように少数ながらそのまま居住を続けている家もあり、生活臭もあるのです。以上のほか、フォトアルバム「寛窄巷子」には多数の写真を載せてありますから、これもご覧ください。 なお、寛巷子にはバックパッカー御用達のゲストハウスとして名高い、「龍堂客棧」(2002年開業)があります。
June 10 「奥州合戦」における鎌倉幕府軍の構成(その1)―歴史雑感〔8〕―一、東山道軍の交名一覧 1189年、鎌倉幕府は奥州平泉藤原政権を打破すべく、全国動員をかけて奥羽に侵攻した。侵攻軍は三手に分かれて、それぞれ東海道軍(大将軍千葉常胤・八田知家)は常陸国から陸奥国浜通へ、北陸道軍(大将軍比企能員・宇佐美実政)は越後国から出羽国念珠ヶ関へ、そして大手軍たる東山道軍は鎌倉殿源頼朝自身が率いて陸奥国白河関へと向かったのです。この主力たる東山道軍に関しては、『吾妻鏡』文治五年七月十九日条に、頼朝の鎌倉進発の「御供輩」144名の交名が載せられています。これに先陣を承った畠山重忠を加えれば、当該期の鎌倉幕府軍主力の構成が理解できることになります。すでに、「武蔵武士足立遠元(その6)―歴史雑感〔6〕― 六、頼朝期における遠元(中)―奥州兵乱と第一次建久上洛―」((2005年12月25日付)において、本ブログでは足立遠元と安達盛長に関連して簡単な分析をおこなっています。そこで、改めて、本交名全体を分析対象として、1189年段階における鎌倉幕府軍の構成を考えてみたいと思います。 まず、『吾妻鏡』同日条に載せる交名を先頭から順に示します。最初に、『吾妻鏡』記載名を、括弧内に当人の名字実名と出身国出自を記してあります。
1.武蔵守義信(平賀義信・義光流信濃源氏) 2.遠江守義定(安田義定・義光流甲斐源氏) 3.参河守範頼(源範頼・頼朝異母弟) 4.信濃守遠光(加々美遠光・義光流甲斐源氏) 5.相摸守惟義(大内惟義・義光流信濃源氏) 6.駿河守広綱(源広綱・頼光流馬場源氏) 7.上総介義兼(足利義兼・義国流下野源氏) 8.伊豆守義範(山名義範・義国流上野源氏) 9.越後守義資(安田義資・義光流甲斐源氏) 10.豊後守季光(毛呂季光・藤原季仲子孫) 11.北条四郎(北条時政・伊豆国北条氏族) 12.同小四郎(北条義時・伊豆国北条氏族) 13.同五郎(北条時房・伊豆国北条氏族) 14.式部大夫親能(藤原親能・文吏僚) 15.新田蔵人義兼(新田義兼・義国流上野源氏) 16.浅利冠者遠義(浅利長義・義光流甲斐源氏) 17.武田兵衛尉有義(武田有義・義光流甲斐源氏) 18.伊沢五郎信光(伊沢信光・義光流甲斐源氏) 19.加々美次郎長清(加々美長清・義光流甲斐源氏) 20.同太郎長綱(加々美長綱・義光流甲斐源氏) 21.三浦介義澄(三浦義澄・相模国三浦氏族) 22.同平六義村(三浦義村・相模国三浦氏族) 23.佐原十郎義連(佐原義連・相模国三浦氏族) 24.和田太郎義盛(和田義盛・相模国三浦氏族) 25.同三郎宗実(和田宗実・相模国三浦氏族) 26.岡崎四郎義実(岡崎義実・相模国三浦氏族岡崎流) 27.同先次郎惟平(岡崎惟平・相模国中村氏族土肥) 28.土屋次郎義清(土屋義清・相模国三浦氏族岡崎流) 29.小山兵衛尉朝政(小山朝政・下野国太田氏族小山流) 30.同五郎宗政(長沼宗政・下野国太田氏族小山流) 31.同七郎朝光(結城朝光・下総国太田氏族小山流) 32.下河辺庄司行平(下河辺行平・下総国太田氏族下河辺流) 33.吉見次郎頼綱(吉見頼綱・武蔵国) 34.南部次郎光行(南部光行・義光流甲斐源氏) 35.平賀三郎朝信(平賀朝信・義光流信濃源氏) 36.小山田三郎重成(稲毛重成・武蔵国秩父氏族畠山流) 37.同四郎重朝(榛谷重朝・武蔵国秩父氏族畠山流) 38.藤九郎盛長(安達盛長・武蔵国足立氏族) 39.足立右馬允遠元(足立遠元・武蔵国足立氏族) 40.土肥次郎実平(土肥実平・相模国中村氏族土肥流) 41.同弥大郎遠平(土肥遠平・相模国中村氏族土肥流) 42.梶原平三景時(梶原景時・相模国鎌倉氏族梶原流) 43.同源太左衛門尉景季(梶原景季・相模国鎌倉氏族梶原流) 44.同平次兵衛尉景高(梶原景高・相模国鎌倉氏族梶原流) 45.同三郎景茂(梶原景茂・相模国鎌倉氏族梶原流) 46.同刑部丞朝景(梶原朝景・相模国鎌倉氏族梶原流) 47.同兵衛尉定景(梶原定景・相模国鎌倉氏族梶原流) 48.波多野五郎義景(波多野義景・相模国波多野氏族) 49.波多野余三実方(波多野実方・相模国波多野氏族) 50.阿曽沼次郎広綱(阿曽沼広綱・下野国淵名流足利氏族) 51.小野寺太郎道綱(小野寺道綱・下野国首藤氏族) 52.中山四郎重政(中山重政・武蔵国秩父氏族?) 53.同五郎為重(中山為重・武蔵国秩父氏族?) 54.渋谷次郎高重(渋谷高重・相模国秩父氏族渋谷流) 55.同四郎時国(渋谷時国・相模国秩父氏族渋谷流) 56.大友左近将監能直(大友能直・相模国) 57.河野四郎通信(河野通信・伊予国) 58.豊島権守清光(豊島清光・武蔵国秩父氏族豊島流) 59.葛西三郎清重(葛西清重・下総国秩父氏族豊島流) 60.同十郎(下総国秩父氏族豊島流) 61.江戸太郎重長(江戸重長・武蔵国秩父氏族江戸流) 62.同次郎親重(江戸親重・武蔵国秩父氏族江戸流) 63.同四郎重通(江戸重通・武蔵国秩父氏族江戸流) 64.同七郎重宗(江戸重宗・武蔵国秩父氏族江戸流) 65.山内三郎経俊(山内経俊・相模国首藤氏族山内流) 66.大井二郎実春(大井実春・武蔵国紀氏) 67.宇都宮左衛門尉朝綱(宇都宮朝綱・下野国宇都宮氏族) 68.同次郎業綱(宇都宮業綱・下野国宇都宮氏族) 69.八田右衛門尉知家(八田知家・常陸国宇都宮氏族) 70.八田太郎朝重(八田朝重・常陸国宇都宮氏族) 71.主計允行政(二階堂行政・文吏僚) 72.民部丞盛時(平盛時・文吏僚) 73.豊田兵衛尉義幹(豊田義幹・常陸国大掾氏族) 74.大河戸太郎広行(大河戸広行・武蔵国太田氏族大河戸流) 75.佐貫四郎広綱(佐貫広綱・上野国淵名氏族佐貫流) 76.同五郎(上野国淵名氏族佐貫流) 77.同六郎広義(佐貫広義・上野国淵名氏族佐貫流) 78.佐野大郎基綱(佐野基綱・下野国淵名氏族足利流) 79.工藤庄司景光(工藤景光・伊豆国工藤氏族工藤流) 80.同次郎行光(工藤行光・伊豆国工藤氏族工藤流) 81.同三郎助光(工藤助光・伊豆国工藤氏族工藤流) 82.狩野五郎親光(狩野親光・伊豆国工藤氏族狩野流) 83.常陸次郎為重(伊達為重・常陸国伊佐氏族) 84.同三郎資綱(伊佐資綱・常陸国伊佐氏族) 85.加藤太光員(加藤光員・伊勢国) 86.同藤次景廉(加藤景廉・伊勢国) 87.佐々木三郎盛綱(佐々木盛綱・近江国佐々木氏族) 88.同五郎義清(佐々木義清・近江国佐々木氏族) 89.曽我太郎助信(曽我助信・相模国) 90.橘次公業(小鹿島公業・伊予国) 91.宇佐美三郎祐茂(宇佐見祐茂・伊豆国工藤氏族宇佐美流) 92.二宮太郎朝忠(二宮朝忠・相模国中村氏族) 93.天野右馬允保高(天野保高・伊豆国) 94.同六郎則景(天野則景・伊豆国) 95.伊東三郎(伊豆国工藤氏族伊東流) 96.同四郎成親(伊東成親・伊豆国工藤氏族伊東流) 97.工藤左衛門祐経(工藤祐経・伊豆国工藤氏族宇佐美流) 98.新田四郎忠常(新田忠常・伊豆国) 99.同六郎忠時(新田忠時・伊豆国) 100.熊谷小次郎直家熊谷直家・武蔵国私市党) 101.堀藤太(伊豆国) 102.同藤次親家(堀親家・伊豆国) 103.伊沢左近将監家景(伊沢家景・文吏僚) 104.江右近次郎(大江久家・文吏僚) 105.岡辺小次郎忠綱(岡部忠綱・駿河国) 106.吉香小次郎(駿河国) 107.中野小太郎助光(中野助光・信濃国) 108.同五郎能成(中野能成・信濃国) 109.渋河五郎兼保(渋河兼保・上野国) 110.春日小次郎貞親(春日貞親・信濃国) 111.藤沢次郎清近(藤沢清近・信濃国) 112.飯富源太宗季(飯富宗季・元平家家人) 113.大見平次家秀(大見家秀・伊豆国) 114.沼田太郎(相模国) 115.糟屋藤太有季(糟屋有季・相模国) |