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歴史と中国日本中世史と四川(成都) |
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February 04 冬の弘前城2010年2月1日(月)、青森県弘前市の弘前城を訪れました。弘前城は初代津軽為信・信枚父子により築城され、1611(慶長16)年に信枚が入城し、以後明治時維新に至るまで津軽藩の居城として位置しました。関東以北で江戸時代の天守が現存する唯一の城であるともに、築城当時の櫓・城門を現存し、堀・石垣の保存状況もよく、築城当時の面影をよく残す、江戸時代初期を代表する名城としてよく知られています。現在は本城跡は弘前市市民公園として公開整備され、桜の名所としても名高いです。城の紹介は案内書などもあるので省略し、今回は、冬の弘前城として、雪に包まれた城内を撮影し、この中から、歩いた順に重要文化財指定を受けた9か所の天守・櫓・城門をお見せします。 最初の写真1は、三の丸南面にある、城の正門たる追手門(大手門)です。
写真2は、二の丸にある南大門です。
写真3は、二の丸の西南隅に位置する未申櫓です。
写真4は、二の丸の東南隅に位置する辰巳櫓です。
写真5は、本丸の東南隅に位置する三層の天守です。二の丸から堀越しに撮ったものです。
写真6は、二の丸の東北隅に位置する丑寅櫓です。三の丸から堀越しにとらえたものです。
写真7は、四の丸北面の北門(亀甲門)です。
写真8は、三の丸東面にある東門です。
最後の写真9は、二の丸にある東内門です。
January 21 冬休み帰国 本日、冬休みで帰国します。 いつもの成田便ではなく、 昨年秋に新設された羽田便を利用します。 で、北京経由から乗り継ぎになります。 成都に戻るのは、2月26日に予定しています。 January 17 チベット自治区ラサ市観光―中国雑感〔7〕―最初に、チベット自治区内への外国人の旅行の現状を述べます。基本からいうと、チベット旅行にはチベット入境証(西藏自治区旅游局外国人旅藏確認凾)の所持を必須とすることです。原則的に同一外国人のみで、旅程・宿泊先を定めガイド同行のツァーを旅行社に手配し、これを旅行社経由でチベット旅游局(観光局)に申請して、入境証が発給されます。申請に当たっては、旅券のコピーが必須です。すなわち、一人であっても、旅行社へ手配旅行をして、ガイド付きでなければチベット旅行は出来ないということです。この規定は以前からのもですが、厳格には適用されず、事実上の個人自由旅行が出来ていました。しかし、ここ数年の情勢の変化により、本規定は厳格に運用されるようになり、現時点では個人自由旅行は非法行為となり、摘発の対象となります。この入境証なしでは、外国人と分かると、交通機関のチケット購入が出来ませんし、正当な宿泊施設でも宿泊を拒否されます。ですから、入境証なしのチベット旅行は不可と存じてください。また、旅行手配から入境証受取まで日数(最低3日)がかかりますから、思い立って、即日チベットに行くことは出来ません。以上のことから、チベット旅行は、準備に手間と日数を要するとともに、費用的にも他の地方に比較して割高になります。チベット旅行に関しては、情勢により変動しますから、これに熟知して実績のある、成都市内で最も定評のあるゲストハウス「成都老沈青年旅舎」http://www.gogosc.com/jp.aspの旅行部のページに「チベット旅行申請方法(2010)」http://www.gogosc.com/jply_tibet_application.aspがありますので、これと関連ページをお読みの上で、計画してください。なお、入境証で旅行できる地域はラサ市とシガシェ(日喀則)市で、他の地区はさらに別の許可が必要です。 さて、私は以上の手配を成都の旅行社でしました。総費用は5泊6日(ラサ観光2日間)約5900元です。内訳は、往路鉄道軟臥下段(1104元)・復路空路(1450元+100元)、宿泊費3泊(朝食付540元准4星級)、入場料(355元 ポタラ宮100元・ノルブリンカ60元・セラ寺55元・大昭寺85元・デプン寺55元)、専用車代(800元)、日本語ガイド費(900元)、旅行社手数料600元、入境証費(50元)、総合費用(30元)です。もちろん、鉄道・宿泊のランクを下げ、中国語ガイド、ラサ観光に公共交通を利用すれば、より安くできます。 実際の旅程は、2010年1月7日(木)~12日(火)で、 7日 夜成都発ラサ行T22/23次乗車 8日 終日列車内 9日 午後ラサ着 10日 終日ラサ観光(ポタラ宮・ノルブリンカ・セラ寺・大昭寺・八角街) 11日 午前ラサ観光(デプン寺) 12日 午前拉薩貢嘎空港発成都双流空港行3U8658便搭乗 と、当初の旅程に比して、ラサ観光が早く終わり、2日目午後が自由時間になりました。ただ、残念ながら、宿泊ホテル(江蘇拉薩生態園大酒店)が不便なところにあり、実際にはホテルで過ごすことになりました。なお、西藏博物館(無料)は室内改修中で閉館していました(春には再開)。 ラサ入りからガイド(チベット族)の迎えがあり、以後、入境証はガイドが保持し、観光中はずっと同行し、観光地によっては入場券購入には入境証提示が必要でした。従って、ガイド付き専用車による観光でもあり、またラサ観光に関する案内書も多く出版されているので、今回はアクセス方法などの観光情報は述べません。また、写真撮影に関しては、世界文化遺産のポタラ宮・ノルブリンカは室内がすべて撮影禁止で、また入場に際しては安全検査があり、液体類も持ち込み禁止と、セキュリティーが厳格となっています。他の寺の場合、観光・お参りに開放された室内は原則的に有料(部屋毎に10~30元)となっています。そんなわけで、今回はラサ市の観光地での室内写真はありません。 そこで、以下にお見せする写真はすべて外観ということになります。写真1は正面からのポタラ宮全景です。右の黄色の建物奥が入口です。白壁の外に見えるのがチベット族の巡礼者です。時計回りで、一周約40分だそうです。この他、ラサ旧市街一周巡礼路もあります。この時期は、農牧閑期なので、チベット族の巡礼の季節に当たり、多くのお参りをするチベット族を目にしました(チベット族はポタラ宮以下が無料)。マニ車や数珠を持って歩く人や、少ないですが五体投地で巡礼する人もいます。
写真2は、ノルブリンカ(ダライラマ離宮)のツォキル・ポタン(湖心宮)です。池は凍り、写真には見えませんが、氷上を鴨が歩いていました。
写真3は、市中心から北に約8kmのセラ寺のツォクチェン(大集会殿)です。本寺の観光を終え、市内で昼食(ガイド・運転手を含め自己負担)としました。
写真4は、チベット街中心に位置するジョカン(大昭寺)です。寺正門前(西)で、五体投地する人々です。これらの人々のため、ご覧のようにマットが用意されています。中にはこれに横たわり休む人もいますが、男女・年齢を問わず多くの人々が熱心に五体投地を行っています。
写真5は、寺2階屋上から見た主殿です。逆に、外へ向かうと、上から五体投地する人々やポタラ宮が見えます。
1日目最後はバルコル(八廊街)散策です。写真6がこれです。写真にはありませんが、武装警察のグループが巡回していました。また、市内の交差点などに武警の警邏ポストを設置し、また巡察の車輌も見かけました。
2日目は市中心から西北に約12kmのデプン寺です。写真7は、ガデン・ポタン(ダライラマ寝殿)屋上からの本寺奥全景で、右奥の金銅の見えるところが本寺の中心、ツォクチェン(大集会殿)で、現在修復工事中で、終了後は白壁と極彩色で覆われるでしょう。以上で、ラサ観光は終わりました。
最後の写真8はおまけです。成都への飛行機上のもので、着陸20分前くらいのもので、四川省最高峰のミニヤコンカ(貢嘎)山〔海抜7556m〕です。なお、本山の海螺溝には氷河があり、この紹介は「瀘定橋・海螺溝―四川雑感〔3〕―」(2005年7月5日付)にしています。
January 14 青藏鉄道・成都発ラサ行T22/23次―中国雑感〔6〕―2010年1月7日(木)から12日(火)まで5泊6日でチベット自治区ラサ市に旅行しました。ラサ入りの足として、2006年7月に全線開業し、ラサ入りができることになった青藏鉄路(青海チベット鉄道)を利用しました。幸い成都からは隔日運行(1月は奇数日)でラサ行の特快列車が走っています。これがT22/23次です。現在の時刻表は、 成都発20時59分 広元着1時23分 発1時37分 宝鶏着8時8分 発8時22分 蘭州着13時17分 発13時32分 西寧着15時59分 発16時19分 格尓木着2時3分 発2時23分 那曲着12時57分 発13時3分 拉薩着16時40分 となっており、所要時間43時間41分で、開業当初の約48時間と比して、スピードアップされて発着時間も異なります。今回は軟臥下段で1104元です。 成都北駅は駅舎の右端にT22次専用の入口と待合室があり、入口前で検札と身分証明書の検査があります。この検査は厳しく、外国人は旅券とチベット入境許可証(西藏自治区旅游局外国人旅藏確認凾)が必須で、係員はこの両者をデジカメで記録します。この後、持ち物の安全検査があり、待合室に入れます。検札開始は19時40分頃で、長い列を作って待たねばありません。待合室(軟臥専用室なし)は狭く、夏の混雑期には立っても全員が入りきれないでしょう。乗車は20時20分頃からです。 西寧を過ぎる2日目午後までは、私にとっては既知の風景ですから、読書などでのんびりとしていました。本列車にはもちろん食堂車が付いており、車窓を楽しみながら、食事が出来ますし、車内販売の包飯(3菜 15元)も回ってきます。本列車は成都鉄路局所属ですから、列車食堂の中では質は最高です。以上、列車内と設備などに関しては、2007年1月に本列車に乗られた方のWebサイト『日本で予約する青海チベット鉄道(青蔵鉄路)個人旅行記』http://www.japantg.com/tibet/index.htmlが写真付きで詳しく紹介しているので、これに譲ります。ただ、残念なことに、今回は軟臥室内の液晶モニターは全く放映がなく、コンセントも全く通電していませんでした。 写真1は、西寧から青藏鉄道に入り、青海湖にさしかかったところで、ちょうど日没時になったものです。18時11分でした。成都からさらに西に行っており、中国は全土を北京時間で統一しているので、1月初旬でこの日没時間となるのです。
さて、深夜のゴルムドを発車すると、新線部の青藏鉄道に入ります。しかし、深夜なので、玉珠峰(海抜6178m)・世界最高海抜の風火山隧道(全長1338m・入口海抜4905m)・世界最高海抜の不凍泉特大橋(2.95km・海抜4611m)ココシリ高原(西)上の清水河特大橋(全長11.7km・海抜4500m)・長江源頭の沱沱大河橋(全長1389.6m)などの青海省内の鉄道名所は闇に包まれたままで、私も眠りについていました。 7時半過ぎに外を眺めると、まだ闇の中でした。時刻表から、走行距離を計算して、まだ世界最高海抜の唐古拉駅(海抜5068.63m 西寧から1421km・ゴルムドから591km。駅舎・ホームは進行方向左側)までには時間があると思い、夜が明けるのを待ちました。列車内の電光掲示版で、海抜4900m台後半を示しているので、近づいてきたなと思って、ようやく空に明るみが出ましたが、いっこうに駅を確認できず、海抜表示も下がってきました。写真2はまだ日の出前の明るみが差してきたときに進行方向右側に人家を見出して撮ったものです。8時34分でした。後で気がついたのですが、実はすでに闇の中で唐古拉駅を通過していたのです。時刻表から計算される以上のスピードでココシリ高原を駆け抜けていたのです。
やがて夜が明け、列車は順調に走り続けます。托居駅(西寧から1499km)を視認し、完全にチベット自治区に入ったことを確認しました。こんな関係で、唐古拉駅関係の写真がないのです。そこで、錯那湖を待つことにしました。錯那湖湖畔を鉄道が走るのです。錯那湖は努江(ミャンマーでタンルイン川)の源頭湖で、面積約300平方㎞・海抜4800mです。写真3は凍結した錯那湖です。諏訪湖と同様にお神渡りをしているところを撮ったものです。手前には列車の陰が写しこまれています。すでに10時をかなり過ぎていました。
11時過ぎに突然停車しました。崗秀駅(西寧から1632km)でした。電光掲示には臨時停車と出ました。青藏鉄道のゴルムド・ラサ間は単線ですから、行き違いの列車待ちと思い、待っていると、突然、警笛もなく列車が目の前を過ぎるので、あわてて撮ったのがフォトアルバムにあるものです。12時58分でした。後から時刻表で調べると、8時発の蘭州(西寧)行K918次でした。さらに、8時半発の北京西行T28次とも行き違え、12時40分くらいにやっと走り出しました。これで、ココシリ高原を時刻表から計算された走行スピード以上で走り抜けていたことが分かりました。しかし、このようなダイヤは観光列車としての性格を持つ列車としては乗客無視のもので、落第としかいいようがありません。 12時57分、那曲駅(海抜4513m・西寧から1650km・ゴルムドから820km)に着きました。下車客もおり、正式な停車駅であり、列車のドアが開き、ホームに降りることが出来ます。そこで、私もホームに出ました。私にとって未体験の海抜でした。このとき撮ったのが写真4です。駅舎のある進行方向に撮りました。手前の車輌は6号車の軟臥車です(全15輛編成)。駅舎の手前に小さく写っているのが駅を出る降車客です。少しホームを歩き回りましたが、列車に戻っても身体になんの問題も起きませんでした。
時刻通りに発車した列車は順調に走り少しずつ高度を下げていきます。相変わらずチベット高原の風景が続き、周りの山はこれより数百メートル程度しか高くありません。時に集落が現れ、牧畜のヤクなどの姿も見えます。写真5はその一つで、ヤクの群れです。中央左寄りに群れに離れているのが牧畜人です。時間は14時を回っていましたから、古露駅(西寧から1735km)付近かと思います。
終わりも近づいており、風景にも異形なものがなくなり、私も休みモードになりました。時刻表より少し早く、16時32分、拉薩駅(海抜3641m 西寧から1972km・ゴルムドから11142km)に滑り込みました。写真6は、降車後、列車先頭へと歩き、乗ってきたT22/23次を撮ったものです。先頭のディーゼル機関車は青藏鉄道専用機関車(ゴルムド・ラサ間)で、米国ゼネラルエレクトリック製のNJ2型です。なお、駅から出ると、通常は迎えの人々が目に入るものですが、駅広場に接した道から駅舎までは立ち入り禁止で、ここまで100mほど歩いて、はじめて迎えの人と会えます。警備の武装警察の人員が配置されています。
最後に、現在のダイヤでは、以前に比べて、ゴルムド・ラサ間の列車観光にとって不十分となっており、ラサ入りの場合、上海(広州)発T164/165次(T264/265次)がゴルムド発5時32分・ラサ着19時54分が一番といえます。次善は北京西発T27次(ゴルムド4時7分発)でしょう。最悪が蘭州(西寧)発K917次(ゴルムド発1時1分・ラサ着15時8分)です。逆に、ラサ出の場合、最善は8時発(ゴルムド着21時13分)のK918次で、次善が8時30分発のT28次で、最悪が11時15分発(ゴルムド着0時56分)のT24/21次の成都行です。 January 07 ラサ行本日夜、青藏鉄路(青海チベット鉄道)経由にてラサに旅行します。
3年生の期末試験が試験最終日(15日)となり、
4年生の試験との空きの期間(12月末終了)を利用します。
そのため、春節休みの日本帰国は例年より遅れます。 December 31 2009年度後期記事目次なお、前回までの記事目次は「ブログ開設1周年記念・記事目次」(2005年11月24日)、「2005年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2006年前期記事目次」(2006年6月30日)、「2006年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2007年度前期記事目次」(2007年6月30日)、「2007年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2008年度前期記事目次」(2008年7月5日)、「2008年度後期記事目次」(2008年12月31日)、「2009年度前期記事目次」(2009年6月30日付))です。 では、庚寅年をよいお年で。 07.10 夏休みの帰国 08.18 西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会 08.31 成都に戻る 09.06 「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕― 09.26 錦江夜景―成都雑感〔82〕― 10.02 国慶節の天府広場夜景―成都雑感〔83〕― 10.15 杭州行 10.21 杭州・良渚博物院―中国雑感〔3〕― 10.24 杭州・跨湖橋遺址(遺跡)博物館―中国雑感〔4〕― 11.07 「怪味面」―成都雑感〔84〕― 11.14 神鋼カップ日本語カラオケ大会―成都雑感〔85〕― 11.20 成都伊藤洋華堂―成都雑感〔86〕― 11.29 銀杏(西南交通大学九里堤キャンパス)―成都雑感〔87〕― 12.04 抗病毒顆粒 12.05 成都永陵博物館(永陵公園)―成都雑感〔88〕― 12.10 2010年の中国の祝日―中国雑感〔5〕― 12.13 秋刀魚塩焼きを食す―成都雑感〔89〕― 12.30 三星堆博物館―四川雑感〔10〕― 12.31 2009年度後期記事目次 December 30 三星堆博物館―四川雑感〔10〕―本年は杭州に行き、長江文明の良渚博物院と跨湖橋遺址博物館を見学しました。また、望叢祠・龍馬古城宝敦遺跡・金沙遺址博物館と、四川省内の長江文明の主要地はすでに紹介しました。しかし、四川省内で、日本での観光ガイドにも載せられ、最も著名な三星堆博物館は触れてきませんでした。そこで、改めてこれを紹介することで、四川省内の長江文明の理解の一助としたいと思います。 三星堆博物館は、1997年10月、三星堆遺跡地区の東北角に開館しました。徳陽市広漢市西郊外約7kmの南興鎮の鴨子河南岸に位置し、成都市から東北38kmにあります。現在、敷地面積約35haで、4200㎡の第一展示館(総合館)と7000㎡の第二展示館(青銅館)があります。開館時間は8時半~18時半で、入館は17時までです。入場料は82元(絵葉書郵便代を含む)で、60歳以上42元(要旅券)、75歳以上無料です。成都市からの公共交通はバスで、成都旅游集散客運中心(新南門)から、8時30分発の直通(広漢三星行14元)がありますが、帰路の便はありません。もう一つは、広漢市乗り継ぎで、昭覚寺汽車站からの高速経由の広漢行(8時40分~18時40分 20分毎 往路15元・帰路12.5元 所要時間約40分)で終点下車、そのところで三星堆博物館行の6路の小型バス(2元 所要時間約20分弱)で終点下車です。なお、6路の博物館前には明確な停留所表示がないので、入口前で待つことになります。昭覚寺へは1・32・49・53・63・64・69・70・71・83路などの市内バスがあります。 三星堆遺跡は、1929年春、当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、発見されました。しかし、長く本格的な発掘はなされず、1980~1年に、初めて四川省文物委員会等により本格的な発掘調査が行われて、大規模の住居跡が発見されました。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、本遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになりました。さらに、1986年には本遺跡の上限が約5000年前と見られるようになりました。また、各種の貴重な玉器・金器・青銅器等が出土し、以上の成果により、1988年1月、国務院は本遺跡を全国重点文物保護単位に指定しました。発掘調査はさらに継続され、1996年秋には日中合同の磁気探査などの科学的調査が行われました。2005年に基本的な発掘調査を終え、現在整理研究中です。以上の発掘調査で、本遺跡は東城壁跡約1100m(ほぼこの延長線上に第二展示館があります)・南城壁跡約180m・西城壁跡約600mが確認され、北を鴨子河とする城壁都市であることが分かりました。 三星堆遺跡(三星堆文化)は新石器時代晩期文化に属し、上限を新石器時代晩期(紀元前2800年)とし、下限を殷末周初期(紀元前800年)と、延2000年近く続きました。4期に分かれ、第1期は4800~4000年前で、龍山文化時代(五帝時代)に相当し、石器・陶器のみです。第2・3期は4000~3200年前で、夏・殷時代に相当し、青銅器・玉器が出現し、宗教活動が盛んとなり、都市が建設されます。第4期は3200~2800年前で、殷末・周初期に相当し、精美な玉・青銅器が製作され、大型祭壇・建築が築かれます。遺跡地区は鴨子河南岸に沿って東西5~6000m・南に2~3000mに広がり、総面積約12㎢で、全体が保護区となり、城壁跡内を含む重要保護区の面積は6㎢です。 入口より入り、まっすぐ少し歩くと、右手に小丘が見えます。これが総合館(第一展示館 平屋)です。2004年5月にオープンしました(在来の展示館は青銅館―第二展示館となりました)。建物全体を土と草木で覆うことで、風景にとけ込ませようとしています。展示は、「序展」を含め、七つに分かれます。第一単元「雄踞西有 古蜀2000年的滄桑史」、第二単元「物華天府 三星堆的農業与商貿」、第三単元「化土成器 三星堆陶器」、第四単元「以玉通神 三星堆玉石器」、第五単元「烈火熔金 三星堆冶煉」、第六単元「通天神樹 古蜀人智慧与精神的象征」です。 まず、三星堆2千年の概観を見た後、第二単元に進むと、各種の酒器土器・家畜造形物、そして海貝・漆器・玉石飾等が展示され、往時の農業・商貿易の様を見せています。写真1は、青銅貝串飾です。殷代晩期のもので、長6.28cm、2号祭祀杭から1986年に出土しました。
続いて、第三単元から個別の出土品展示となります。第三単元は陶瓷・陶箕等の各種の陶器を展示し、生活実態をうかがわせます。第四単元は玉石器展示で、玉琮・玉戈・玉璦・玉璧等の各種の玉器や石器を展示し、宗教儀礼を知らしめます。写真2は玉璋です。殷代晩期のもので、2号祭祀杭から1986年に出土しました。
第五単元は鷹形銅鈴・銅罍等の青銅礼器と金器を展示して、往時の冶金工芸技術を示しています。写真3は金杖です。全長143cm・直径2.3cm・重量463gで、殷代中期のもので、1号祭祀杭から1986年に出土しました。世界で最も早いものです。写真ではお分かりになれませんが、上端(左)に平雕紋飾図案(魚・鳥・人)があります。これは古蜀王国の伝説の王「魚鳧」を象徴している考えられています。
最後の第六単元は神樹を展示し、古蜀王国の原始宗教を示しています。これにより古代人の宗教観念が理解できます。写真4は本展示館を代表する青銅神樹です。殷代晩期のもので、全高396cm(樹高384cm)で、2号祭祀杭から1986年に出土しました。3段に枝が出ており、各段3枝ずつ張っています。各枝には鳥が飾られて、全9鳥が見えます。枝の先端には果実があります。また、樹の下部には1旒の龍が下向きに匍っています。これは神木である扶桑の木を表しています。以上で総合館は終わりです。
総合館を出、道を進み右に曲がり少し進んで左折すると、拡張以前の門が見え、その奥に青銅館が見えます。総合館から青銅館まではかなりの距離があり、有料の電動カートも走っています。 青銅館はその名の通り青銅器に特化し、「序庁」を含め、六つの展示室からなっています。一展庁は「奇秘面具」、二展庁は「神坐群像」、三展庁は「王者之尊」、四展庁は「千載蜀魂」、五展庁は「必路歴程」です。 一展庁入口には大きな青銅人面具のレプリカが鎮座しています。入ると、本館を象徴する青銅人面具・青銅縦目面具・青銅獣面具等が目に入ります。写真5は青銅人面具で、レプリカのもととなったものです。殷代晩期のもので、高25.5cm・幅42.5cmで、2号祭祀杭から1986年に出土しました。
写真6は青銅戴冠縦目面具です。殷代晩期のもので、高82.5cm・幅78cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。三星堆遺跡独特のもので、目が飛び出たほかに見られない意匠で、人々を驚かした、縦目デザインの一つです。
写真7は、三星堆遺跡といえば、これといわれる、一目見ると忘れられない意匠の、青銅縦目面具です。殷代晩期のもので、高65cm・幅139cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。突出した瞳孔長16.5cm・径9cmです。頭頂中央の穴には額飾がありそれが失われたと考えられています。世界最大の青銅面具です。目が飛び出ていることは、古代人が目に生命が宿ると思考した象徴と考えられています。
二展庁に入ると、各種の青銅人頭像が展示しています。写真8は戴金面罩銅人頭象です。これは平頂人頭像に金箔の金面を被せたものです。殷代晩期のもので、高42.5cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。
次いで、三展庁に入ると、各種の人頭像等が展示されています。写真9は青銅立人像です。青銅神樹・青銅縦目面具とならび、本館を代表する青銅器です。殷代晩期のもので、高261cmm(人像高172cm)・重量180kg、2号祭祠杭から1986年に出土しました。世界最大の青銅立人像です。
ここから建物中央にしつらえられた青銅神樹の巨大レプリカの回りをスロープに沿って2階に上ると、四展庁です。青銅龍虎尊・青銅太陽形器・青銅鳥等の各種の青銅器が展示されています。写真10は青銅四羊四鳥罍です。殷代晩期のもので、高54cm・口径26.5cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。外面に4匹の羊と4羽の鳥が飾られています。
3階に至ると、五展庁です。ここはパネル展示で、半世紀にわたる三星堆遺跡の発掘の歴史を展示しています。さらに、この一角に「千古之謎」と題し、遺跡に関するなぞなぞの部屋が設けられています。これで展示は終わりです。屋上に出て遺跡地区を一望して、下ると外に出られます。以上、本博物館の見学には2時間はほしいところです。 なお、三星堆博物館の公式サイトのURLはhttp://www.sxd.cn/page/default.aspで、日本語のページもあります。また、写真は2009年12月29日(火)にペンタックスK-7で撮影したものです。 December 13 秋刀魚塩焼きを食す―成都雑感〔89〕―成都市は内陸なので、海の産物には恵まれていません。でも、冷凍品ながら秋刀魚を食することが出来ます。イトーヨーカドーや伊勢丹で時に秋刀魚を扱っていますし、春熙路のスタンド店では、麻辣味の焼き秋刀魚を売っていて、市民はこれを求め立ち食いをしています。今回は、今日春熙路に出たとき、伊藤洋華堂春熙店で、浙江省産の秋刀魚(1匹4.9元)があったので、これを買い求め、夕食は純日本家庭料理としたので、これを写真でお見せします。
メインはもちろん秋刀魚の塩焼きで、たっぷり大根おろしを付けました。この左が野菜の旨煮で、里芋・大根・人参・椎茸と色を添えました。奥の左はほうれん草のおひたし、右は胡瓜の塩もみです。一番奥の瓶は、左から桃屋の合わせだし(400ml 24.5元)・キッコーマンの醤油(500ml 19.8元)と中国での現地生産品で、いずれも伊勢丹で売っています。最後のは晩酌の雪花ビール(2.5元)で、地ビールではありませんが、成都市産で最もポピュラーなものです。今日の料理の材料で、鰹削り節を除くと、すべて中国産で、まあこれだけの日本家庭料理が出来ます。なお、秋刀魚は網がないので、フライパンに薄く油を引いて弱火で焼き上げました。冷凍ですが、かなり脂がのっていて、かなり以前、よいとされている日本料理店で食した秋刀魚定食よりうまかったです。 December 10 2010年の中国の祝日―中国雑感〔5〕―
明年の祝日(休日)に関する、12月7日付国務院の通知が8日に報道されました。これに基づいて、中国の公的機関は休日を実行します。民間もこれを基準に休日を組みます。つまり、明年の休日日程が定まったわけです。 次の通りです。 一 元旦(1月1日) 1月1日(金)~3日(日)の3日間を休日。 二 春節(旧暦元旦 2月14日) 法定休日(旧暦大晦日~1月2日) 2月13日(土)~19日(金)の7日間を休日。 2月20日(土)〔18日・木〕・21日(日)〔19日・金〕振替出勤日。 三 清明節(4月4日) 4月3日(土)~5日(月)の3日間を休日。 四.労働節(5月1日) 5月1日(土)~3日(月)の3日間を休日。 五 端午節(旧暦5月5日 6月16日) 6月14日(月)~16日(水)の3日間を休日。 12日(土)〔14日・月〕・13日(日)〔15日・火〕振替出勤日。 六 中秋節(旧暦8月15日 9月22日) 9月22日(水)~24日(金)の3日間を休日 9月19日(日)〔23日・木〕、25日(土)〔24日・金〕振替出勤日。 七 国慶節(10月1日) 法定休日(10月1日~3日) 10月1日(金)~7日(木)の8日間休日。 9月27日(日)〔7日・水〕・10月10日(土)〔8日・木〕 9月26日(日)〔6日・水〕、10月9日(土)〔7日・木〕振替出勤日。
なお、国務院通知原文は以下の通りです。
国务院办公厅关于2010年部分节假日安排的通知 国办发明电〔2009〕27号 各省、自治区、直辖市人民政府,国务院各部委、各直属机构: 根据《国务院关于修改<全国年节及纪念日放假办法>的决定》,为便于各地区、各部门及早合理安排节假日旅游、交通运输、生产经营等有关工作,经国务院批准,现将2010年元旦、春节、清明节、劳动节、端午节、中秋节和国庆节放假调休日期的具体安排通知如下。 一、元旦:1月1日至3日放假公休,共3天。 二、春节:2月13日至19日放假调休,共7天。2月20日(星期六)、21日(星期日)上班。 三、清明节:4月3日至5日放假公休,共3天。 四、劳动节:5月1日至3日放假公休,共3天。 五、端午节:6月14日至16日放假调休,共3天。6月12日(星期六)、13日(星期日)上班。 六、中秋节:9月22日至24日放假调休,共3天。9月19日(星期日)、25日(星期六)上班。 七、国庆节:10月1日至7日放假调休,共7天。9月26日(星期日)、10月9日(星期六)上班。 节假日期间,各地区、各部门要妥善安排好值班和安全、保卫等工作,遇有重大突发事件发生,要按规定及时报告并妥善处置,确保人民群众祥和平安度过节日假期。 国务院办公厅 二○○九年十二月七日 『中華人民共和国中央人民政府』http://www.gov.cn/zwgk/2009-12/08/content_1482691.htm December 05 成都永陵博物館(永陵公園)―成都雑感〔88〕― パンダカードを利用して成都永陵博物館に行ってきました。パンダカード(熊猫卡)は、昨年(2009年)の四川汶川大地震で打撃を受けた観光業振興策として発行されたもので、ゴールドカード(金卡)は四川省外の中国人と外国人を対象として、成都市域の11か所の観光地(金沙遺址博物館・武侯祠・杜甫草堂・熊猫基地・永陵、都江堰・青城山、西岭雪山前山・西岭雪山スキー場、天台山、劉氏庄園)の入場料を1回限り無料とするもので、シルバーカード(銀卡)は四川省人を対象として、入場料を半額とするものです。これらは、3月24日に開始され、12月31日で終了します。
成都永陵博物館(永陵路10号)は、唐滅亡後の五代十国時代の前蜀国(大蜀)開祖、王建の陵墓永陵を博物館としたものです。開館時間は7時半~19時(冬季8時~18時)、b墓室入場料20元です。最寄りのバス停は、永陵路東站か槐樹街站が30・43(新南門発塩市口経由)・48(新南門発塩市口経由)・54(火車北站公文站発)・341路、永陵路口が42路です。 王建(847~918)は唐の璧州(巴中市通江県)刺史でしたが、907年の唐滅亡後、自立して、四川省を中心に成都を都として皇帝を名乗り、国号を大蜀としました。この前蜀は王建の子王衍の代、925年、後唐荘宗に滅ばされました。 永陵はこの王建の陵墓です。1942年に最初の発掘調査が行われ、王建の墓と確定しました。墓室をはじめ貴重な文物が発見されて、1961年、全国重点文物単位に指定されました。墳墓は高15m・直径80m余の円墳です。墓室が発掘され、現在保存公開され、本博物館の中心となっています。写真1は、その陵墓に南面した参道で、「皇帝」墳墓の礼として両側に侍臣らの石刻像が自立しています。写真中央の煉瓦色の所が墓室への入口です。
全長24m余の墓室は地上に平行して墳丘をくりぬいて、上部が円形で、14道石券構造として、前・中・後室の3室構成となっています。室間には木門があります。写真2は、上部に王建の木棺を置いてあった中室の棺石床を、出口へと撮ったものです。この棺石床の正面(南)・左右側面(東西)には24体の楽伎(楽隊・踊手)の石刻があります。これらの楽手は琵琶・琴・鼓・笙などの楽器を演奏しており、発掘された唯一の完全な唐代宮廷女子楽隊で、往事の様を写しています。さらに、棺石床の回りを12体の力士像が守護しています。
写真3は、後室に鎮座する王建石刻坐像です。紅砂岩の高86cmで、国宝級の逸品です(墓室内撮影禁止でしたが)。
本博物館を含む一体は建物などが撤去されて、永陵公園として、本年10月に新オープンしました。市民の憩いの場となったのです。写真4は、博物館東隣の広場で、永陵路・三洞橋路角の所にある、モニュメントです。手間の子供が乗っているのが「王建謚宝(璽印)」印面で、「高祖神武聖文孝徳明惠皇帝謚宝」と刻まれています。この後方がこの謚宝全体のモニュメントです。さらに後方に囲むように並ぶのが、22体の楽伎です。これらの奥に王建の陵墓が見えます。なお、この再開発に伴い、博物館内にあった茶館は姿を消し、現時点では公園内にも開店していません。
December 04 抗病毒顆粒本日、外国人教員および留学生に「抗病毒顆粒」を大学は配布しました。これは、四川光大製薬有限公司製造の漢方処方による、インフルエンザ用解熱剤です。すでに、9月には留学生に体温計を配り、発熱はすぐ報告するように指示が出ていました。もちろん、これらは新型インフルエンザ(A-H1N1)対策であることはいうまでもなく、これが一歩進んだことになります。
四川省衛生庁の発表では、先週(11月29日)までの省内の累計感染者数は4802人、死亡者は9人です。また、10月からの毎週の感染者数は3桁台前半で、特に最近に入って上昇はしていません。なお、定点病院での集計では、インフルエンザ患者の90%前後が新型インフルエンザです。
また、外務省の「新型インフルエンザの流行状況について(第63報(11月30日付))」 では、中国は、感染者数6,9160人(うち53人死亡)となっています。国別では感染者数第1位、死亡者23位となっています。 November 29 銀杏(西南交通大学九里堤キャンパス)―成都雑感〔87〕―成都市は市樹が銀杏です。市内には銀杏が多く見られ、「白果園茶館(茶座)―成都雑感〔10〕―」(2005年10月20日付)のように、野外茶館には多く銀杏が枝を伸ばしています。 西南交通大学九里堤キャンパスにも銀杏が随所にあります。キャンパス創建以来20年ほどなので、まだ古木とはいえませんが、それでも成長し並木を形成しているところがあります。そこで、日曜休みを利用して、金色に染まった銀杏を、ペンタックスK-7(DA17-70mmF4 基本的に絞りf4)で撮影したのをお見せします。撮影日(2009年11月29日)は成都らしい曇り日でした。
November 20 成都伊藤洋華堂建設路店オープン―成都雑感〔86〕―本日(2009年11月20日・金曜日)、成都イトーヨーカドー4号店目に当たる建設路店(成都市建設路2号 電話028-8425-8888)が試開業しました(本開業24日)。1号店春熙店(1997年11月21日)・2号店双楠店(2003年9月30日)・3号店錦華店(2007年12月22日)に続くものです。二環路東二段と建設路の丁字路西北角に位置します。これで市中心に1店舗、二環路沿いに3店舗と店舗展開がなされ、市内東部地区に初めて出店したことになります。売り場面積約32000㎡と成都ヨーカドー中で最大面積です。営業時間は9時~23時です。なお、5号店(高新区)・6号店(温江区)の出店が予定されています。 地下1階から地上5階までで、地下1階「新鮮食料館」(食品日用品スーパー)・1階「濱紛服飾館」(化粧品・服飾など)・2階「流行服飾館」(女性服飾)・3階「紳士運動館」(男性服飾・体育用品など)・4階「時尚居家館」(寝具・厨房用品など)・5階「美食生活館」(食事・美容など)となっています。また、1階にはATMが設置され、中国工商銀行のはVIZA(PLUS)に対応しています。 最寄りのバス停は、建設路東站(二環路 2路・51路・52路・114路・412路)・(建設路 42路・72路・76路)です。 写真は二環路越しに見た建設路店外観です。
なお、今までのヨーカドー各店の紹介は、 イトーヨーカドー春煕店―成都雑感〔2〕―(2004年12月26日付) イトーヨーカドー双楠店―成都雑感〔3〕―(2005年3月10日付) 成都伊藤洋華堂春熙店・新鮮食品館―成都雑感〔40〕―(2007年4月23日付) イトーヨーカドー錦華店―成都雑感〔54〕―(2007年12月30日付) です。この内、双楠店・春熙店はそれぞれ全ヨーカドー店舗(日本国内を含む)中で、利益額第1位・2位を占めており、成都市民の購買意欲と購買力を示しています。 最後に、「蜀犬太陽に吠える」といわれるほど、青空に恵まれない成都ですが、本日は珍しくも写真をご覧のように快晴の空でした。 November 14 神鋼カップ日本語カラオケ大会―成都雑感〔85〕―2009年11月13日(金)夜、西南交通大学犀浦キャンバスの第二食堂3階の学生活動中心で、「第2回神鋼カップ日本語カラオケ大会」が開催されました。本学日本語科の1~4年生の12名が歌いました。 ここで、最近の中国の若者の日本の歌への傾向がうかがえると思うので、彼らの参加曲(出場順)を示します。 嵐「Love so sweet」2007年2月 SoulJa「ここにいるよ.feat青山テルマ」2007年9月 川嶋あい「My Love」2007年2月 杉真理「恋の手ほどき~X’mas in Love~」1990年11月 鬼束ちひろ「月光」2000年8月 中島美嘉「雪の華」2003年10月 TOKIO「太陽と砂漠のバラ」2009年8月 剛紫「美しい我の空」2009年4月 大塚愛「プラネタリウム」2005年9月 Surface「夢の続きへ」2007年5月 以上です。ご覧のように21世紀に入ってからの曲がほとんどで、本年の最新曲も入っており、学生達がどん欲に新しいものに興味を示していることがうかがえます。また、以前にはあった演歌・歌謡曲系の曲は全く歌われず、J-ポップス系が学生の心を捉えていることが理解できます。 写真1は、優勝した1年生男子の「夢の続きへ」の歌唱風景で、最後に搭乗した彼は、表情も豊かで、楽しくリズムに乗り、会場の喝采を受けました。
写真2は、表彰式後の、出場者・司会者・審査員などの記念写真です。なお、左側の女子4人は審査補助員で、和服もどきの服装はご愛敬でしょう。 本大会は、本学日本語学科への、成都神鋼建設機械有限公司(成都コベルコ)支援の一環として行われました。ここに記して、感謝いたします。 November 07 「怪味面」―成都雑感〔84〕―成都を訪れた日本人が「怪味」とはなんだろうか、食い物なんだが、怪しいから食べるのはよそうと、いうことを聞きました。 さて、「怪味」とは何でしょうか。実は、四川料理での調味法の一つです。すなわち、豆板醤・香酢・砂糖を主要調味料として、辛味・酸っぱさ・甘みの混雑とした味のことです。この味での代表料理が、前菜の「怪味鶏」です。今回は、小吃である「怪味麺」を紹介します。 写真1は、この怪味麺(5元・2両)です。担担麺とはことなり、ご覧の通り赤い汁麺で、四川特有の辛味麺料理です。写真の店のは、細丸面(腰がないのは中国の麺一般と同様)でトッピングは牛すじ肉を柔らかく煮込んだものです。味は、当然ながら辛味が口中を強く刺激します。ですが、辛味になれてくると、かすかな甘みを感じることができます。辛味好きにはお勧めです。
写真2は、怪味麺を売りとする「怪味面」店を撮ったものです。本店の住所は、一環路南二段13-4号です。一環路南二段・三段と人民南路三段・四段との交差点の、東北角の電脳ビル「資訊広場」から東に約150mの所です。写真左の所が食券売り場で、ここで食券を求めて、席について待つと、麺が運ばれてきます。また、売場左の赤板がメニュー価格一覧で、「赤味」(多味牛肉麺・排骨麺・鶏雑麺など)と「白味」(海味麺・煎蛋麺など)などとに分けて掲示してあります。なお、本店は電脳街にあることもあり、以前からDVDなどの買い物の際のなじみの店でもあります。
October 24 杭州・跨湖橋遺址(遺跡)博物館―中国雑感〔4〕― 午前中の良渚博物院につづき、午後(2009年10月17日)は跨湖橋遺址博物館に行きました。本遺跡上に建設された本館は、2009年9月28日、開館したばかりです。開館時間は9時~16時(月曜休館日)で、入場無料です。住所は杭州市粛山区湘湖路(風情大道)978号(粛山湘湖風景区内)で、杭州市中心から銭塘江をわたり南に位置しています。最寄りバス停は跨湖橋站です。市内からはK315路の延安路站始発で終点の粛紹路公文站で降り、K707・K716路に乗り継ぎ跨湖橋站で下車します。
跨湖橋遺跡は、約8000~7000年前の新石器時代のもので、長江文明を形成する最初期のものです。すなわち、良渚文化以前の長江文明で、まだ古代都市を形成するには至りませんが、河姆渡遺跡(浙江省寧波市余姚市河姆渡鎮)と並んで組織化した水稲農耕の遺跡です。1990年に初めて発掘がなされ、数次の発掘を経て、同時期の河姆渡文化とは異なる要素を有し、2004年に本遺跡は跨湖橋文化と命名され、2006年に中国重点文物保護単位に指定されました。本遺跡からは、世界最古とされる、独古舟(丸木舟)・漆弓・陶器回転製造技術・紡績技術の遺物が発掘されました。
写真1は、跨湖橋遺址(遺跡)博物館の建物全景です。風情大道から駐車場の北に橋を渡った奥にあります。外形はご覧の通り、舟形をしており、本遺跡発掘遺物の白眉である独木舟を模しています。1階が「展示庁」、地下が「遺址庁」となって、遺物展示(陶器・石器・木器・骨器・玉器など)と遺跡の保存公開をしています。
写真2は、遺址庁に保存されている「独木舟」全景です。ご覧のように、保護施設の中に入れられ保護公開されています。本舟は、長5.6m・最大幅53cm・舟体平均厚2~3cmで、馬尾松です。本庁は遺跡の主要部を保護公開しており、この中には発掘当時の様を再現(人形)展示しているところもあります。本庁は現在海抜-1.2~-0.9mと水面下に位置しており、本遺跡が放棄されたのは、7200年前に始まった海進のためです。
写真3の左の遺物は、「木質陶輪底座(輪盤的転軸)」、すなわち陶器製造用回転軸底部です。これは世界最古のものです。このような器具を用い回転台の上で、手で回転させながら陶器を制作していたことが理解できます。展示庁には、この前に独木舟の原寸大復元展示や骨器・陶器などがあります。また、パノラマ展示もあり、往事の生活を見せています。
写真4は、本遺跡で稲作農耕がなされていたことを証する、稲米の遺物です。この他、菱・団栗・桃・梅・李・オニバス・サネブトナツメ遺物が展示されており、往事の食生活の一端を示しています。この後、石器・木器の展示とつづきます。
写真5は、編織物です。すでに織物が製作されていたことが分かります。この後、紡輪・叉形器・定経杆などの紡績用器具の遺物があり、これら一連の紡績遺物は世界最古です。
October 21 杭州・良渚博物院―中国雑感〔3〕―杭州へと結婚式参席のため旅行しました。式の前日、2009年10月17日(土)、を利用して、博物館見学をしてきました。それも日本からの観光客はまず行きませんが、世界史的に見ても歴史的価値のあるところです。これが「良渚博物院」です。今回は本院を紹介します。 良渚博物院は、2008年9月29日、開館しました。開館時間は9時~17時(月曜日休館日。但し祝祭日は開館)で、入場無料です。住所は杭州市余杭区良渚鎮美麗路1号(美麗洲公園内)です。最寄りの市内バス停は旧国道104号上の「良博站」で、市内からは武林門北站発瓶窰南站行のK348路(4元)で来れます(私は卒業生のマイカーで来たので、良博站からの距離・道は不分明ですが、国道から南に山側に行きます)。「良渚文化」の命名遺跡である、良渚遺跡区に建設されたのが本館です。杭州市中心の西湖から北北西に位置し、車で半時間あまりの所です。なお、良渚鎮にあった良渚文化博物館は本館開設に伴い閉鎖されました。 良渚文化は、約8000年前の河姆渡文化や跨湖橋文化の後を追う、長江下流域の新石器文化であり、長江文明の一角をになうものです。江蘇・浙江両省にわたる長江デルタで、長江と銭塘紅に夾まれた地区に遺跡が集中的に分布し、約5250~4150年前のものであり、この中核が莫角山遺跡を中心とする良渚遺跡区です。本遺跡区は、1936年に最初の発掘がなされ、1959年に良渚文化と命名され、1998年に中国重点文物保護単位に指定され、余杭区良渚・瓶窰の両鎮にわたっています。そして、2007年、発掘調査により、莫角山遺跡などを囲い込む城壁が確認され、祭壇と城壁を持つと古代都市遺跡であることが分かりました。 本館は、基本的に良渚遺跡区の発掘遺物(玉器・陶器・石器・木器など)と往事の生活再現パノラマが本館の展示の中心となっており、三つの展示室、展庁一「発現求真」、展庁二「良渚古国」、展庁三「良渚文明」からなっています。写真1は本館への入口と建物です。 展庁一「発現求真」は、1936年の最初の発掘から2007年の城壁発掘にいたる考古学的成果を展示するとともに、陶器・石器などの発掘遺物を展示し、本遺跡と良諸文化の知識が得られるようになっています。写真2は、展示の終わりの方にある、良渚「古城」遺跡のジオラマで、東西約15~1700m、南北18~1900mの城壁(底部は砕石で、幅約4~60mもある大規模なもので、土積の城壁残存高4m強)が、莫角山遺跡(祭祀基壇)を核として四囲に構築された、面積約290万㎡の中国最大の古代都市遺跡であることを示しています。
展庁二「良渚古国」は、農耕・陶器制作・玉器製作・木材加工・建築・紡織などの生活パノラマ展示があり、その中心に祭祀基壇建設(莫角山)のパノラマ、すなわち写真3に見るものがあります。高みに首長(「王」)が立ち、この後ろに従者がひかえ、指示を与え、人々が建設に励む姿が示されております。写真には写っていませんが、「王」の後方には武器を携えた兵士がひかえています。また、玉管串などの装飾品の展示もあります。これらにより、往事の社会と人々の生活が分かるようになっています。
前の二つの展庁にも遺物展示がありますが、展庁三「良渚文明」は、本遺跡発掘遺物を基本として、玉器・陶器・石器・木器・織物など千余点を展示されて、遺物展示の中心となっています。特に、本遺跡は玉器に優れ、各種の玉器が多数展示され、目を楽しませてくれます。まず写真4は玉琮です。ご覧のように、玉琮の四隅に神人獣面紋の線刻装飾がなされています。この神人獣面紋装飾は本遺跡遺物玉琮に見られる特徴で、ダイアモンドなどのないところで、如何にこの装飾をなしたか不可思議なことです。
写真5は、本遺跡遺物の白眉である、刻紋玉璧で、本館で初めて公開されたものです。写真ではお分かりになりがたいですが、玉璧上部に刻紋(図形符号)が刻まれており、これを拡大鏡で見られるようになっています。玉琮とならんで玉璧も遺物の中核を占めるものとして多数の逸品が展示されています。
写真6は、玉三叉形器です。面上に線刻があり、これも拡大鏡で、神人獣面紋の装飾を見ることができます。本写真ではコントラストが弱いため確認しづらいでしょうが。以上のほか、玉鉞・玉串飾・玉管・玉鐲など各種の玉器が展示されおり、良渚文化が玉器で満たされていたことが分かります。
October 02 国慶節の天府広場夜景―成都雑感〔83〕―2009年10月1日は、中華人民共和国建国60周年の、国慶節です。ニュースでもご存じのように、首都北京では天安門広場で軍事パレードを含む大イベントが行われました。ここ成都でも、60周年を祝いの飾りや催しもが街に見えます。そこで、成都市の中心である天府広場に夜出かけ、この風景をお見せします。
写真1は、広場の北中央に人民東・西路を隔てて立つ、ライトアップされた毛沢東像(1969年建立)です。
写真2は、広場右(東)に位置する東魚眼龍騰噴泉です。この地下に地下鉄1・2号の駅ができます。
写真3は、広場北にある成都市体育中心(総合グランド)から打ち上げられた祝賀花火を、広場左(西)の西魚眼龍騰噴泉越しに撮ったものです。この花火打ち上げは20時から約30分近く行われました。 なお、天府広場については、「天府広場新装オープン―成都雑感〔35〕―」(2007年3月11日付)で紹介しています。 September 26 錦江夜景―成都雑感〔82〕―錦江は成都市内を西から東に流れる府河と南河(両川とも都江堰市で岷江の分流となる)の別称で、両川は市内東南で合流し、府河として黄龍溪を経て、眉山市彭山県で再び岷江と合流します。90年代に入り、汚染などで荒れていた両川を整備し、現在では、錦江は両岸に遊歩道公園などが設けられ、市民の散策の場として親しまれています。特に、一環路内主要部は夜間照明がなされ、橋共々ライトアップされるようになっています。そこで、望江楼公園から人民南路までの錦江夜景を紹介することにします。 写真1は、望江楼(「望江楼公園―成都雑感〔78〕―」2009年4月22日付参照)を上流北から川越しにとらえたものです。望江楼にはライトアップの設備がありますが、残念ながら平日(9月24日木)のためか光はなしでした。ですが、ちょうどこの日は、成都には珍しく、夜に入っても晴で、写真に見るように、楼の頭上に月が出ていました。
写真2は、一環路にかかる九眼橋全景を下流東南から撮ったものです。この橋の西北約3kmに市中心の天府広場が位置しています。ちょうど橋後景のビルの方向です。本橋は、1593(明万暦21)年、創建され、現在の橋は1988年建設のもので、長約120m・幅25mです。この橋の南岸に、20世紀半ばまで船着き場があり、楽山からの舟運の成都の窓口でした。なお、古橋にあった九つの橋脚間のアーチ型空洞から、この橋の名が来ています。
写真3は、九眼橋の西約300mにある安順廊橋を上流西から写したものです。本橋の創建が何時かは不明ですが、マルコ=ポーロの『東方見聞録』にこの橋の記載があり、歴史の古い橋です。現在の橋は2003年に新築されたもので、欄干・橋舗道が石造りで長81m・幅6mです。廊とあるように、橋上に楼閣が建てられており、現在、中華レストランなどが営業しています。ちょうど、この橋の上流で、北からの府河と西からの南河が合流し、合流点直前の府河上に合江橋が架けられています。また、安順廊橋上流南岸には、茶館があり、茶などの各種の飲料が楽しめます。ちなみに、撮影途中で、私は休みを兼ねてビール(ハルビンビール中瓶15元)を頼み、ライトアップした両橋と川辺を見ながらのどを潤しました。
この後、南河をさらに西へと上流に向かい、興安橋、復興橋(新南路)と過ぎ、人民南路へと歩きました。写真4は、南河の人民南路上に架かる錦江大橋を、上流南岸からとらえたものです。後景のビルは成都索菲特万達大飯店(ソフィテル成都 5星)です。ご覧のように、本橋は改修工事中(年末完成予定)で、照明設備が未完成です。ですが、橋の中央には国慶節をひかえて、お祝いの赤のぼんぼりが飾られています。この改修工事により、1958年建設の本橋は、長70m・幅50mが長80m・幅80mと拡張されます。車道路面本体の拡張工事は終了して利用可能になっています。
なお、今回の撮影はペンタックスK-7によるもので、すべて手持ち撮影(ノーストロボ)で、シャッタースピード0.4秒のもあり、手ぶれ補正機能のありがたさを実感しました。 September 06 「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕―2009年9月4日(金)、大正大学名誉教授倉島尚節先生以下、総勢9名の先生方を迎え、14時から18時過ぎまで、西南交通大学外国語学院会議室で、「日本語研究学術交流団」講演会を行いました。9名の先生方がそれぞれ20分程度の日本語の各分野の講演を行い、最後に30分程度の質疑討論を行いました、本学の教員・大学院生・4年生を始め、市内の一部の大学の教員・大学院生も参席し、会場は満席の盛況でした。 各先生方の講演題目は講演順に次の通りです。 倉島尚節(大正大学名誉教授) 漢字の音読みと訓読み 山本真吾(白百合女子大学教授) 古文献の表記―漢字・平仮名・片仮名― 木村義之(慶応大学准教授) 敬語接頭辞「お」と「ご」の諸問題 中山緑朗(作新学院大学教授) 和製英語について 陳力衛(成城大学教授) 日中同形語の問題点 沖森卓也(立教大学教授) 助詞の諸問題 山田進(聖心女子大学教授) 「する」と「やる」 梁継国(茨城大学教授) 「你」≠「あなた」? 木村一(東洋大学専任講師) 鼻濁音について
写真1は、最初の講演、倉島先生の講演風景です。
写真2は、質疑討論の場で、本学大学院生による最初の質問風景です。
写真3は、講演会終了後になされた、記念撮影です。日本語学科主任劉旭宝教授の左右に日本の先生方が並んでいます。
なお、今回の講演会は私の初中国でお世話になった陳先生のグループの先生方で、前々から九寨溝・黄龍行を兼ねてお誘いをしていたところ、ようやく実現できたものです。 August 31 成都に戻る本日(8月31日)、いつものCA422便にて、成都に戻りました。
北京での離陸待ちにより、30分あまり遅延しました。
昨日は、総選挙の投票を終え、開票速報を見続けて、家を出発しました。
但し、昼間にたっぷり昼寝をしておきましたが。
歴史に残る選挙結果といえましょう。 August 18 西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会2009年8月14・15日(金・土)の2日間、西安交通大学日語系1期生(1985年入学・1989年卒業)が、卒業20周年の同窓会を西安で集いました。中国各地および日本から11名(全14名 女9・男5名)の卒業生が母校に顔を合わせました。14日午後から、恩師や外国語学院幹部との懇談会、夜は懇親宴会とカラオケで、よく話し、食べ飲み、歌い、大いに楽しみました。15日は郊外へと繰り出し、昭陵(唐太宗墓)観光後、礼泉県袁家村(観光農村)でゆったりとした時間を過ごし、最後に夜のキャンパスを散策しました。 写真1は、懇談会での卒業生一同で、左端がクラス担任の王精誠先生です。
写真2は、顧明耀教授らの恩師および外国語学院幹部の先生方です。この中には、当時教鞭を執っておられた日本人の方もおられます。また、母校に残り、教員として後輩を育てている卒業生もいます。
写真3は、在学時に学び、現在でも外国語学院の入っている校舎前での記念撮影です。
写真4は、袁家村での昼食風景で、地元の野菜を主体とした、農家料理です。この村は全村をあげて、観光村として再開発し、料理や麻雀・釣りなどで過ごすことができます。中国のマイカー化の促進がこのような村を大都市近郊に生み出しました。
最後の写真5は、大学正門の北門でのものです。現在では、学生区のある南側地区に新しい建築群があり、南門も設置されたので、日常的な中心出入口は南に移っています。
付記 今回の撮影は、ペンタックスK-7(ペンタックスDA17~70mm)の初お目見えです。 June 30 2009年度前期記事目次2009年度前期(1月~6月)の記事目次を掲載します。なお、前回までの記事目次は「ブログ開設1周年記念・記事目次」(2005年11月24日)、「2005年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2006年前期記事目次」(2006年6月30日)、「2006年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2007年度前期記事目次」(2007年6月30日)、「2007年度後期記事目次」(同年12月31日)、「2008年度前期記事目次」(2008年7月5日)、「2008年度後期記事目次」(2008年12月31日)です。
01.09 冬休み帰国 02.22 成都に戻る 03.13 成都送仙橋古玩芸術城―成都雑感〔77〕― 04.07 蜀南竹海―四川雑感〔10〕― 04.22 望江楼公園―成都雑感〔78〕― 04.26 西安交通大学日本語学科老師来成都 05.07 西安旅行へ 05.12 五一二・四川汶川大地震1周年 05.26 西南交通大学での新型インフルエンザ対策 06.08 四川博物院(旧四川省博物館)オープン―成都雑感〔79〕― 06.14 西南交通大学日本語学科卒業答弁会―成都雑感〔80〕― |
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