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11月14日 神鋼カップ日本語カラオケ大会―成都雑感〔85〕―2009年11月13日(金)夜、西南交通大学犀浦キャンバスの第二食堂3階の学生活動中心で、「第2回神鋼カップ日本語カラオケ大会」が開催されました。本学日本語科の1~4年生の12名が歌いました。 ここで、最近の中国の若者の日本の歌への傾向がうかがえると思うので、彼らの参加曲(出場順)を示します。 嵐「Love so sweet」2007年2月 SoulJa「ここにいるよ.feat青山テルマ」2007年9月 川嶋あい「My Love」2007年2月 杉真理「恋の手ほどき~X’mas in Love~」1990年11月 鬼束ちひろ「月光」2000年8月 中島美嘉「雪の華」2003年10月 TOKIO「太陽と砂漠のバラ」2009年8月 剛紫「美しい我の空」2009年4月 大塚愛「プラネタリウム」2005年9月 Surface「夢の続きへ」2007年5月 以上です。ご覧のように21世紀に入ってからの曲がほとんどで、本年の最新曲も入っており、学生達がどん欲に新しいものに興味を示していることがうかがえます。また、以前にはあった演歌・歌謡曲系の曲は全く歌われず、J-ポップス系が学生の心を捉えていることが理解できます。 写真1は、優勝した1年生男子の「夢の続きへ」の歌唱風景で、最後に搭乗した彼は、表情も豊かで、楽しくリズムに乗り、会場の喝采を受けました。
写真2は、表彰式後の、出場者・司会者・審査員などの記念写真です。なお、左側の女子4人は審査補助員で、和服もどきの服装はご愛敬でしょう。 本大会は、本学日本語学科への、成都神鋼建設機械有限公司(成都コベルコ)支援の一環として行われました。ここに記して、感謝いたします。 9月6日 「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕―2009年9月4日(金)、大正大学名誉教授倉島尚節先生以下、総勢9名の先生方を迎え、14時から18時過ぎまで、西南交通大学外国語学院会議室で、「日本語研究学術交流団」講演会を行いました。9名の先生方がそれぞれ20分程度の日本語の各分野の講演を行い、最後に30分程度の質疑討論を行いました、本学の教員・大学院生・4年生を始め、市内の一部の大学の教員・大学院生も参席し、会場は満席の盛況でした。 各先生方の講演題目は講演順に次の通りです。 倉島尚節(大正大学名誉教授) 漢字の音読みと訓読み 山本真吾(白百合女子大学教授) 古文献の表記―漢字・平仮名・片仮名― 木村義之(慶応大学准教授) 敬語接頭辞「お」と「ご」の諸問題 中山緑朗(作新学院大学教授) 和製英語について 陳力衛(成城大学教授) 日中同形語の問題点 沖森卓也(立教大学教授) 助詞の諸問題 山田進(聖心女子大学教授) 「する」と「やる」 梁継国(茨城大学教授) 「你」≠「あなた」? 木村一(東洋大学専任講師) 鼻濁音について
写真1は、最初の講演、倉島先生の講演風景です。
写真2は、質疑討論の場で、本学大学院生による最初の質問風景です。
写真3は、講演会終了後になされた、記念撮影です。日本語学科主任劉旭宝教授の左右に日本の先生方が並んでいます。
なお、今回の講演会は私の初中国でお世話になった陳先生のグループの先生方で、前々から九寨溝・黄龍行を兼ねてお誘いをしていたところ、ようやく実現できたものです。 8月18日 西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会2009年8月14・15日(金・土)の2日間、西安交通大学日語系1期生(1985年入学・1989年卒業)が、卒業20周年の同窓会を西安で集いました。中国各地および日本から11名(全14名 女9・男5名)の卒業生が母校に顔を合わせました。14日午後から、恩師や外国語学院幹部との懇談会、夜は懇親宴会とカラオケで、よく話し、食べ飲み、歌い、大いに楽しみました。15日は郊外へと繰り出し、昭陵(唐太宗墓)観光後、礼泉県袁家村(観光農村)でゆったりとした時間を過ごし、最後に夜のキャンパスを散策しました。 写真1は、懇談会での卒業生一同で、左端がクラス担任の王精誠先生です。
写真2は、顧明耀教授らの恩師および外国語学院幹部の先生方です。この中には、当時教鞭を執っておられた日本人の方もおられます。また、母校に残り、教員として後輩を育てている卒業生もいます。
写真3は、在学時に学び、現在でも外国語学院の入っている校舎前での記念撮影です。
写真4は、袁家村での昼食風景で、地元の野菜を主体とした、農家料理です。この村は全村をあげて、観光村として再開発し、料理や麻雀・釣りなどで過ごすことができます。中国のマイカー化の促進がこのような村を大都市近郊に生み出しました。
最後の写真5は、大学正門の北門でのものです。現在では、学生区のある南側地区に新しい建築群があり、南門も設置されたので、日常的な中心出入口は南に移っています。
付記 今回の撮影は、ペンタックスK-7(ペンタックスDA17~70mm)の初お目見えです。 6月14日 西南交通大学日本語学科卒業論文答弁会―成都雑感〔80〕―6月12・13日(金・土)、西南交通大学日本語学科の卒業論文答弁会が犀浦キャンパスで行われました。例年ですと大学の答弁会(抽選で答弁者を)後に、日をあけて学科答弁会でしたが、本年は連続して行いました。13日8時より大学答弁会(6人)、午後学科答弁会(14名)、13日学科答弁会午前・午後(28名)で、17時過ぎに終了しました。学科答弁会は、両教授を主任に、指導教官別に2班に分けて行いましたから、各班の各回は7名ということになります。2クラス全48名となります。発表時間は12分で、質問時間が8分で、1人当たり20分ですが、だいたいこれ以上かかりました。写真は大学答弁会のもので、学院の多能機能教室を用いました。この教室はLL機能を有し、教官用のコンピューターのみならず、各学生用のコンピューターを有しています。発表者はパワーポイントでレジュメを作成し発表しますから、各自はデスク上のディスプレーで見ることになります。大学の答弁会であることは、写真の赤い横断幕に、「西南交通大学2009届本科畢業設計(論文)校抽答弁」とあることでお分かりでしょう。 今回、私が審査した大学答弁会・学科答弁会の卒論題目(27編)を示します。 〔言語類〕(9編) 中国語兼語形式使役句の日本語表現の研究 中日慣用語の比較 中日の身体語彙慣用句の対照比較―「目」と「口」を中心に― 日本語の動物慣用語についての研究 中日同形語の差異に関する研究 日本の若者用語に関する研究 日本語の曖昧語に関する研究 日本語の男女用語差別 外来語から見る日本語 〔翻訳類〕(4編) 「愛と美について」の翻訳について 「走れメロス」の翻訳について 「橋」の翻訳について 「病院の窓」の翻訳実践および技巧研究 〔日本文化類〕(10編) 諺語から日本人の性格を見る 中日神話の比較研究―創世神話と英雄神話を中心に― 日本人の死生観 教育活動から見る中日小学校の教育理念 日本少子化の現状の原因と対策についての研究 日本相撲の問題と対策の検討 日本のスター広告の魅力 宮崎駿の作品から見える人類生存環境への思考 日本のライトノベル成功の必然性 「オタク」および「オタク」市場についての研究 〔日本文学類〕(4編) 『奥の細道』から松尾芭蕉の美意識を見る 芥川龍之介作品中の母親像の分析 『風の又三郎』に関する研究 『雪国』から見る川端康成の美意識 ここ数年と比較すると、日本文化類が最大数ですが、言語類が増加しました。その分、日本文化類が減少したことになります。 4月26日 西安交通大学老師来成都4月24日(金)~26日(日)、西安交通大学日本語学科の5人の先生方が成都に来られました。成都在住の卒業生5人も集い、ゆったりと楽しい時間を過ごしました。川菜・火鍋・茶館・五粮液など、四川の良さに触れらたと思います。 写真は、「寛窄巷子歴史文化保護区修復竣工オープン―成都雑感〔69〕―」(2008年6月17日付)で触れた、旧来から営業していた「茶馬古道」茶館2階での先生方です。実は、この茶館には以前2階がなく、1階(路上)のみで営業していました。今回久しぶりにここを訪れたら、2階に棚(テラス)を道側に増築し、内部と合わせ、2階でも営業していました。下はいっぱいだったので、一同2階に上がりました。午後の時間をのんびりと数時間もおしゃべりとお茶で過ごしました。
10月5日 西安交通大学日本語学科98年卒業生10周年同窓会10月1日(水)の国慶節、西安交通大学日本語学科第10期生(98年卒業)が卒業10周年を祝い、西安に集いました。私もこれに顔を出しました。98年卒業生は16名(男9名・女7名)と珍しくも男性が多いのです。今回、1日夜の出席者も男5名・女1名と男性が過半でした。写真左はこの宴のもので、家族連れの卒業生もおり、家族サービスをも兼ねたものとなっており、西安観光を楽しんだようです。なお、本期も含め、この前後の学生には3年総合日本語・4年新聞雑誌購読などを教えていました。 写真右は翌2日(木)、午前、彼らに思いで深い、キャンパス内を散策し、その変容を見るとともに、外国語学院のある変わらぬ棟前で撮ったものです。こうして、外見や場は変わったもの(米国在住者も)、変わらぬ同窓の絆を深めていったのです。
7月1日 続・日本文化分野での卒業論文題目―成都雑感〔70〕―6月30日、卒業式も終え、4年生は学巣を飛び立っていきます。そこで、「日本文化分野での卒業論文題目」(2005年5月17日付)から3年経ちましたので、これ以降の論文題目を付け加えて、改めて私の指導担当した卒業論文全題目を提示します。7年間で、全38編(2002年7編・2003年6編・2004年5編・2005年6編・2006年4編・2007年5編・2008年5編)です。
〈経済関係〉6編 戦後日本経済の高度成長の要因としての科学技術 日本における終身雇用制 松下電器の分析から終身雇用の未来を見る―改革は破壊ではなく、再伸である― バブル経済下の日本経済 90年代後半の日本単身世帯の消費行動 90年代後半以降の日本の対アセアン貿易政策の変化 〈経済文化関係〉3編 伝統的心理の日本の企業文化への影響※ 日本の企業倫理と社会的責任※ 日本企業文化の儒教思想とその利害※ 〈社会関係〉8編 「家」から見た日本人の集団意識 戦後日本の家庭構成の変化 現代中日女性地位の比較 中日高齢者生活の比較 日本人の清潔と清潔感 現代日本人の自殺について※ 日本のコメ保護政策※ 日本の自然災害と日本人の性格について※ 〈教育関係〉1名 日本の小学校教育 〈宗教・思想関係〉6編 仏教思想の日本人生活への影響 中日死生感の比較 盂蘭盆会と日本人の死生観 戦後における日本人の宗教意識変容について 江戸時代の儒学思想とその影響 中江兆民の見る西洋自由民主主義とその儒学の必然性※ 〈文学関係〉3編 『個人的な体験』から見た大江健三郎の心霊の遍歴 中国での村上春樹ブームの原因の考察―『国境の南、太陽の西』をめぐって― 夏目漱石の「こころ」から見た「自己本位」思想※ 〈マンガ関係〉2編 文化としての日本マンガ 中国青少年に対する日本漫画の影響※ 〈言語文化関係〉4編 日本の若者語考 中日外来語の比較 日本語色彩語の研究※ 日本語における婉曲表現とその文化的背景※ 〈その他〉5編 中日古典庭園芸術の比較 中日酒文化の比較 現代日本の歌舞伎と中国の京劇※ 曹操と織田信長の比較※ 東山魁夷の作品における日本的輝く生命の姿※
以上です。※は2006年以降の卒論題目です。なお、この年から経済関係が論題から外されたため、この関係が経済文化関係となりました。ともあれ、時代的には古代から現代、分野的には経済・社会・思想・歴史・文学・言語などと多岐にわたっており、学生の関心の広さを示しています。 9月15日 訪中中央大学法学部学生交流会―成都雑感〔48〕―13日(木)午後、訪中の中央大学法学部ゼミ学生17名と西南交通大学日本語学科学生の交流会を学部生のいる犀浦キャンパスで行いました。中大生は8月下旬より1か月間、北京・新彊・チベット・成都などを回り、日系会社・大学などを訪問し、観光とともに研修と交流を深め、上海から帰国の予定です。この研修旅行の一環として、本大学を訪問されたわけです。 日本語学科の学生にとっては、犀浦キャンパスが郊外にあるため、キャンパス内・周辺には日本人がおらず、通常ネイティブ・スピーカー(母語話者)と話す機会は、日本人教員以外に皆無といってもいい環境なのです。ですから、このような日本人との交流会は、生の日本語に接する機会であるとともに、自身の会話のチャンスでもあるわけです。とりわけ、同世代の大学生同士であれば、興味・思考からいっても最もいいことになります。 交流会は少し遅れて14時半過ぎに教学1号館に新学期から設けられた「外語沙龍」(外国語サロン)という部屋で行われました。ここは外国語の本・雑誌(まだ英語のみ)が備えられ、ソファーや飲み物もあり、ゆったりと過ごせる場所となっています。日中双方の学生はテーブル毎に数人のグループに分かれ懇談に夢中になりました。やはり若者らしく、人気タレント(特にキムタク)のことなどが話題になりました。その後、場所を移して、バスケットボールやバレーボールを楽しみ、中大生が野球ボールとミットを持ってきていたので、本学の学生は初めて硬球を握りキャッチボールを体験しました。17時過ぎに参加のみんなで見送り、今回の交流会を終えました。 写真左は「外語沙龍」での交流会における本学日本語学科学生の歓迎挨拶風景です。奧に本棚とカウンターがあり、この左手に見えるのが飲み物の機器で、その左手は別室になっています。写真右は交流会最後のキャッチボール風景です。総合グランド前の広場で、隣がバスケットボール場です。後方の建築中のは住宅団地です。
なお、この両日、終日晴天で雲一つない時もあり、曇天が普通の成都にとってまことに珍しい天気でした。おかげで、長袖から半袖に逆戻りです。 4月12日 学生アルバイト募集ビラ―成都雑感〔38〕―まもなく5月のメーデーからの1週間の休み、ゴールデンウィークになります。この時期は観光シーズンとして観光地が押すな押すなの賑わいとなるとともに、一大商戦期でもあります。 そこで、校内にて下の写真でお見せする、学生へのアルバイト募集ビラが電柱に貼られていました。このビラで、現在の学生アルバイト事情の一端がうかがえるかと思い、紹介します。 ビラは見出しを「双休・五一兼職」として、土日休日と5月1日からのメーデー休暇の両方とうたっています。次いで、職種・求人数・日給を提示しています。それは、以下の6業種です。 ●電話回訪員(電話での顧客サービス調査) 女子 60名 30~60元 ●商場・超市発単員(商店・スーパーでのチラシ配り) 男女 80名 20~40元 ●信息菜集員(情報調査) 男女 50名 30~50元 ●電器・飲料促銷員(電器・飲料販売促進) 男女 60名 40~60元 ●礼儀模特(開店などの式典要員) 女子 20名 60~160元 ●打字抄写員(パソコン入力とコピーオペレーター) 男女 10名 40~80元 さらに、校内でのIT電話カード・化粧品・電子製品の業務推進員(営業)を求めています。これは、採用すれば優遇するとうたっており、具体的な給料は示していません。いわゆるアルバイト的というよりも、契約社員的なものです。 この下に連絡電話番号と連絡先が書いてあります。この番号は固定電話ですが、携帯電話番号の場合も多いです。最後に、ビラの最下部ですが、そのように、連絡電話番号・連絡先を記して、切れ目を入れあります。これはこのビラを見て連絡しようと思った人がこの部分を切り取って持って行けるようにしたものです。アルバイト募集ビラだけではなく、アパート募集などでも同様で、その形体はこれらのビラの通例です。 もちろん、旧来からの学生アルバイトの基本である家庭教師もありますが、近来は上記に見られるような職種にも学生アルバイトが募集されるようになりました。 最後に賃金のレベルを円に換算すると、日給20元は(1元=15.45円)で309円となります。比較として、2005年の成都市都市部市民の月平均可処分所得を示します。これは月平均947元(約1万4600円)です。ただし、中国では共稼ぎが普通ですから、世帯可処分所得は大きくなります。 12月18日 成都神鋼建設機械・山下和則氏講演―成都雑感〔32〕― 去14日(木)午後、西南交通大学犀浦キャンパスにおいて日本語学科の学生を対象に、成都神鋼建設機械有限公司董事長(日本の取締役代表会長に相当)の山下和則氏が講演をなさいました。 成都神鋼建機(CKCM)は合弁企業として1994年9月に成都市東南郊に設立された、成都市でもっとも初期段階に進出した日系企業です。神戸製鋼の系列会社であるコベルコ建設機械が親会社として油圧式ショベルカーを生産しております。 当日は、1時間ほど山下氏の講演をうかがった後、学生の質問を受け、全体で2時間くらいでの時間でした。講演内容は氏にお任せし、会社のことが中心になり、中国日本のことなども含まれていました。このような日本語学科の学生を対象に日系企業の日本人が講演をすることは中国各地の大学でも珍しいことではありません。だいたいこのような形式時間で行うのが普通です。学生の質問は大学院生から学部2年生までと、就職関連のものが多かったです。成都市のように在住日本人が少なく(2005年9月現在、外務省届出四川省在留日本人229)、ネーティブスピーカーと接する機会が大学以外では極めて少ない学生にとって、本講演はよいヒヤリングの機会でした。 なお、写真は質問する学生の後方から会場を撮ったもので、前方黒板の前に左2人が4年生の司会者、その右が山下氏、右側3人は成都神鋼建機社員で1人は本日本語学科の卒業生です。 11月19日 成都市大学生就職招聘会―成都雑感〔29〕―来年6月の新卒予定者の就職シーズンが本格的に始まりました。17日(金)、西南交通大学では、九里堤・犀浦両キャンパスで来年卒業予定の大学生・院生を対象に合同就職面接会が開催され、4年生は休講になりました。このために各地から求人企業が人員を派遣してきました。また、すでに個別の企業も出張して面接会を開いております。この中には、日本語学科も関係する日系企業として、トヨタ・ホンダ・松下もありました。さらに、卒業生をリクエーターとして出張させる企業もあります。
このように、就職戦線の火ぶたは切られているのです。もちろん、大学に来る求人企業から就職先を選ぶのが基本です。これ以外に、北京市や上海市はもちろん、各省でも省都を中心に就職招聘会を開きます。これも学生が就職先を選ぶ有力な手段となるわけです。とりわけ、大学内での就職面接会などをえられない非有力校の学生にとっては重要な機会になります。
成都市においても、この土日の18・19日の両日、「四川・成都市2007年大中専畢業生、畢業研究生供需洽談会曁冬季大型招聘会」(四川省・成都市2007年大学専門学校卒業生・卒業大学院生需給懇談会・冬季大型招聘会)が催されました。写真1左は、会場となった、西南交大近くの沙湾路の成都国際会展中心(成都国際会議展覧センター)2号館の入口風景です。会場上には上記の横断幕が張られ、大勢の学生が集ってくる様子が見えます。
写真1右は内部で、上海市の大学関係の集ったブースです。上海市歓迎の横断幕が見えます。これら大学教員の招聘条件を見ると、80年代には学部卒でも教員に採用されたのと異にし、社会・人文系の一部が修士号であるのを除けば、博士号が要求されています。基本的に上海の大学の要求が博士号であることが分かります。この点に関して、以前には博士号取得の帰国留学生(海亀族)は各種の優遇措置があり、その帰国を促したものですが、現在では単に博士号取得だけでは大学・研究機関への就職がフリーパスとは如何ないようです。
写真2左は、更に内部に入ったところで、会場上に「熱烈祝賀中国大学生就業網開通」の横断幕が掲げてあり、就職関係のWebサイトの宣伝となっています。このように、中国でもインターネットが有力な就職活動手段になっているのです。とにかく会場は人人で、歩くにも困難ほど学生で溢れかえっていました。トイレ数が足りないのか、男女とも50人以上が列をなしてトイレ待ちの状態です。
写真2右は、会場外正面にある、参加企業とブース番号を示した掲示です。過半は成都市の企業ですが、少数とはいえ、上海市を中心に、北京市・山東省・江蘇省・浙江省・福建省・広東省等の企業も参加しており、全国からの就職招聘会となっています。
以上写真でも見るように、会場は学生ですし詰め状態で、会展中心バス停に着くバスからは学生達がはき出され、会場へと続々と歩いてきますし、タクシーで乗り付ける学生もいます。どうしてこんなに学生が集るのでしょうか。経済の回復に伴い、日本での大学生の就職事情が超氷河期を脱し、好転しているのに引き替え、高度成長中にもかかわらず、中国での大学生の就職事情は最悪の就職難を迎えようとしているのです。今年7月の卒業予定学生へのアンケート調査によれば、就職決定・内定との回答は49.8%しかなく、なんと半分の学生は就職先が未定なのです。当然、学生は就職に必死なのです。
ではどうして中国の大学生の就職戦線が超氷河期なのでしょうか。簡単にいえば、90年代末に始まった高等教育拡大策のスピードが経済成長のそれよりも極めて速いということです。求人の伸びに倍増する大学生の増加がここ数年続くことで、完全に供給を需要が上回った、需給間のバランスが需要過多になったことによるのです。
翻って、文化大革命以前の5・60年代の卒業大学生数は10万人を越える程度で、同年齢層の1%を占めるに過ぎない、文字通り選ばれたエリートでした。この時期の就職は、計画経済体制に基づき、「分配」と呼ばれるもので、国家が求人企業と学生間に入って、調整・分配、すなわち人事当局が求人を各大学に割り振り、それを大学当局などが個々の学生に割り当てるものでした。当然ながら、学生の希望通りになることはごく少数でした。それを拒否すれば、即失業ですから、希望にかかわらず学生は割り当てられた就職先に向かいました。北京市の学生でも遠い地方に行くのは当たり前でした。例えば、現国務院総理温家宝氏は北京地質学院大学院地質構造専攻を1968年に卒業しましたが、同年北京より西に1000㎞以上もある甘粛省地質局の測量技術員として赴任しました。
1978年に大学が再開され、経済開放となり、大学も拡張していきました。80年代末の卒業学生総数(院生・本科=学部・専科=短大相当)は58万に達しました。それでも同年齢層の3%を占めるに過ぎず、まだまだエリートでした。それに、就職方式の基本が分配であることは変わりませんでした。80年代半ば、一部の名門校で、「双選」と呼ばれる新方式が試験的に実施されました。これは大学に割り当てられた大型国有企業の求人(この一部)を自由に学生に選択させ、企業と学生間で直接(面談)決定させるものです。ここで初めて学生が就職先を選択する余地が出来たのです。
1992年の鄧小平の南巡講話により経済開放が加速され、本格的な経済開放と高度成長期に入りました。大学も開放の期に入り、試験的な「双選」も拡大され、学生の選択の余地が広がりました。卒業学生数も着実に増加し、1997年には82.9万人(4.8%)に達し、エリートから大衆化への道を進みます。90年代後期、分配は完全に廃止され、企業と学生が自由に双方で選択することが出来るようになりました。
1999年、中国は高等教育拡大政策を実施し、これ以降各大学は負けじと拡大に走ります。2002年の卒業生133.7万人(13.8%)が、2003年には187.7万人(17%)と、以前の伸び率10%以下だったのが、なんと40%以上も増加したのです。これ以降も、2004年239.1万人(20.3%)、2005年306.8万人、2006年413万人と、年率20%強以上という急拡大なのです。まさしく、中国の高等教育は大衆化の時代に入ったのです。 これでは、如何に経済が高度成長しているとはいえ、卒業生の伸びに求人数が追いつけるはずがありません。まさに、「大学を卒業したけれど」の時代に入ってきたのです。 11月4日 西南交通大学子弟小学校下校風景―成都雑感〔26〕―西南交通大学には付属小学校がキャンパス内(教職員宿舎地区の中間)にあります。西南交通大学子弟小学校といいます。
日本では、近頃は安全面から、生徒の集団登下校に父兄らが送迎を行っているようですが、中国ではどうでしょうか。
写真はその下校時のものです。写真1左に見るように、校門前には多くの自転車(実は、写真に見える多くは電動スクーターです。電動自転車の発展したもので、成都では一般化しています。時速20キロ以下となっているはずですが、それ以上出るのもあり、歩行者にとっては注意すべきものです)が集まり、父兄が生徒を待っています。母親ばかりでなく、父親も多いことがお分かりでしょうか。中国では、このように生徒の保護者(両親だけでなく祖父母も)が送迎をするのは都市では普通のことなのです。もちろん、写真1右に見るように、1人や友達と帰る生徒もたくさんいます(なお、青紫のジャージの集団は、ちょうどキャンパス内の付属病院に行く、付属中学校―中国では中等部〔初中〕と高等部〔高中〕が併設―の生徒)。ともかく、下校時にはこのようにお迎えの保護者で校門の前がいっぱいになるのが中国の都会での小学校です。ただ、このお迎えはあくまでも個人単位のもので、日本のような組織的・集団的なものではありません。子弟小学校は市内でも優良校(コンピューター教育の先進校)で、キャンパス外部からの通学もかなりあり、その中には、写真2右に見るように、自家用車送迎もあるのです。それも1台や2台ではなく、校門前の道路にずらりと駐車しているのです。なんといっても、成都はマイカーの普及率がトップクラスの都市なのです(実は、日本語学科では2人の教授はもちろん、若手の教員の何人かもマイカー持ちです)。
8時半登校で、朝礼などの後、8時45分に1時限目(40分授業)が始まり午前中4時限で、12時から14時までが昼休みとなり、多くの生徒は自宅に戻り昼食を取ります。午後は14時登校で、14時10分に5時限目が始まり、15時40分に6時限目の授業が終了し、下校時となります。もちろん、その後も課外活動する生徒もおります。以上が小学校の1日で、この昼休み時と下校時に保護者の校門前でのお迎えがあり、写真のような風景を見せるわけです。
最後に、写真2右ですが、これは「学校收費」、すなわち学費などの経費を示したものです。校門脇に掲示されています。国家の基準に基づいて、成都市金牛区の定めた標準経費です。学期ごとに学費は294元(雑費168元・教科書代75元・テキスト代15元・情報技術費〔いわゆるコンピューター教育、3~6年生〕36元)、綜合服務費77元(委託管理費〔いわゆる、昼休みなどで学校が生徒を保育すること、保護者の自由意志〕62元・社会実践活動費15元)です。2学期制ですから、委託保育すると、年に742元となります。なお、最後の「借読費」年1600元とは、他の小学校の生徒を受け入れる場合の費用です。本来的には居住地により学区が定まっていますが、優良校には学区外からの希望者が集ります。 7月31日 西安交通大学日本語学科11級(95年卒業)同窓会・在西安去7月22日(土)、久しく顔を会わせていなかった日語11級(7期生・91年入学)の諸君が、キャンパスの地である西安で、1995年7月の卒業以来初めての同窓会を開きました。18名の卒業生中の12名が参加しました。北は遼寧省から南は広東省までの中国各地から参集したのみならず、日本から訪れた同級生もいました。ここに、その時の写真を載せます。学科創立以来の校舎前での撮影です。 6月16日 西安交通大学日本語学科卒業生大連学友会西安交通大学外国語学院日語系(日本語学科)は、1985年9月、中国国内で最初に設立された本科(4年制)の科技日語(科学技術日本語)専攻が発展したものです。89年7月に1期生を卒業させ、今年で17期生の卒業となります。すでに、この卒業生は中国国内の各地のみならず、日本をはじめとする海外でも活躍中です。 中国国内で卒業生が一番集中しているのは遼寧省大連市でしょう。ここでは「西安交通大学日本語学科卒業生学友会」が組織されています。1期生を筆頭に、2004年卒業の15期生まで、現在22名ほどが掌握されています。毎年新年会を開き懇親をはかるとともに、母校の教員などの来訪に際しては歓迎宴を設けています。下の2枚の写真は、今月に大学の業務で訪れた趙剛教授と張文麗先生(5期生)を囲んだ歓迎宴の記念写真で、13名の卒業生が出席しています。私も2004年の国慶節の休暇で訪れたとき、卒業生に大変お世話になりました。中国各地の卒業生の中で、おそらく大連の卒業生がもっとも相互の関係が密でしょう。当地の卒業生は日本語の教師をはじめ、政府機関・国有企業・日本企業、それに事業を起こした人など、各方面で活躍しています。そして、ある日本企業から無条件で新規採用するといわれたほど、西安交通大学日本語学科は高い評価をえています。 ところで、大連以外の地ではどこに卒業生が多いでしょうか。上海を中核とする華東地区(杭州・蘇州・南京市などを含む)、そして北京市(天津市を含む)でしょう。ただ、両地区とも学友会が組織されているわけではないので、全体が把握されていませんから、正確なところは分かりません。これに次ぐのは、広東省(広州市と深圳市)でしょう。こうしてみると、やはり経済発展の進んでいる沿海地区、それも日本企業の活発なところと一致します。 それ以外では、母校のある陝西省西安市です。ここでは教師が多いです。というのも、1期生が卒業後、日本語学科の新規教員のほとんどは卒業生から採用され、その多くが現在も教員を続けているからです。1期生もまもなく「不惑」であり、今や日本語学科の中核は卒業生教員です。また、他大学で教員となった卒業生もおり、西安は卒業生教員の集中している地区です。 最後に、私の今いる四川省成都市ですが、把握できている卒業生は3人と少ないです。当地出身の学生は毎期いるのですが、卒業後に戻ってくる学生はあまりなく、このように少数しかいません。 5月19日 西南交通大学(その5)110周年―成都雑感〔1〕―中国国内では、メーデー以来MSNはログ・インが不能となり、先週一時可能となりましたが、この15日(月)から再びログ・イン不能となり、ようやく今日可能となりましたので、遅れましたが、西南交通大学110周年について載せます。 5月15日、西南交通大学は創立110周年として創立記念行事を行ないました。15・16日の2日間は講義が休みとなり、午前に記念大会が開かれました。以後、いくつかの記念行事が展開されました。そこで、本日午後のキャンパスの様子を少しお見せします。なお、本学の沿革については、2004年12月14日付の「西南交通大学(その1)沿革―成都雑感〔1〕―」をご覧ください。 写真1左は本校(九里堤キャンパス)正門(南門)です。後方に見えるのが本キャンパスの中心になる建物の教学楼です。「西南交通大学」の下に見える、「唐山 1896」の文字が、本学が1896年に創設された山海関北洋鉄路学院(1905年唐山に移転し、唐山工業専門学校となります)を原点にしていることを現しています。学生たちは各学院毎にキャンパスで活動を繰り広げました。写真1右と2左がその模様です。鏡湖で油絵を描いているのは芸術与伝播学院(芸術・伝播)の学生です。楽器演奏や中国画もあります。双六ゲームをしているのは電気工程学院(電気工学)です。これらで、学生たちが着ているのは110周年記念のTシャツです。色々な色のものがあり、背中には「竢實揚華」の四文字と校章中のマーク図柄が付いています。最後の写真2右はメイン・シンポジウムの現代軌道交通論壇の宣伝タテカンです。このメイン報告が「快速発展的中国高速鉄路(急速に発展する中国高速鉄道)」で、これは、原点が鉄道学校であり、現在も鉄道技術関係と土木工学に秀でた本学にふさわしいといえましょう。 なお、本日は九里堤・犀浦キャンパス間のスクールバスは無料となり、休みと重なり、乗り場には長い学生の列が出来ました。 3月5日 2005/6年度後期の担当課目 2月20日(月)から西南交通大学は後期学期が開始されました。第2週が終り第3週に入ろうとしています。前学期に続いて、今学期の担当課目を紹介したいと思います。 今学期の担当課目をまず示します。 1.語彙論―大学院1年 2.名著欣賞(名著観賞)―大学本科4年 3.日文写作3(日本語作文3)―大学本科3年 4.文化与礼儀(文化と礼儀)―大学本科3年 5.日文写作1(日本語作文1)―大学本科2年 6.文化与礼儀(文化と礼儀)―成人教育専科3年 以上の6課目で、週7コマとなります。これに、4年生の卒業論文指導がくわわります。今回は6名を担当します。 院生の課目は名目上は修辞学ですが、実際には語彙論を講義します。基本的には日本の大学の学部専門科目レベルとなります。語彙論は他の分野と比較して、研究の深化していない分野で、出版された教科書レベルの書籍もごくわずかです。そこで、田島毓堂『比較語彙研究序説』1999年笠間出版をテキストとして講義します。これにより、田島氏の提唱する比較語彙研究方法を理解して、語彙論が言語の枠を越える必然性と重要性・面白さを把握させます。残念ながら、現在までのところ、本講義を受講した院生で語彙論をテーマに選んだ学生はいません。院生には、困難だが、長期的に取り組めば、いい研究成果が上げられるといって唆すのですが。 「名著欣賞」は4年生最後の課目で、選択です。三浦哲朗「忍ぶ川」の新潮文庫本コピーをテキストにし、「日本文学概論」の「伊豆の踊子」と同様なやり方で、全文を読破します。三浦哲朗の作品は精読の授業で既出(上海外国語学院日語系編『日語』第六冊・第3課「おふくろの消息」1986年上海外語教育出版社)であることと戦後を代表する青春小説なので、これをテキストに取り上げました。本課目は本来的に日本語学科の課目なのですが、名目上は全4年生が対象のため、本学科以外の学生も受講できます(最初にこの課目を持ったとき、このことに気づいて、教務の方へ申し入れましたが、いっこうに変更されません)。当然に、他学科の学生も受講しますが、いうまでもなく日本語が読解できる学生は皆無です。したがって、「忍ぶ川」の中国訳はないようなので、適当な日本語小説の中国訳を選ばせて、それを読破するようにいいます(本課目は選択ですが、卒業に必要な単位数に含まれ、履修届課目の変更がきかないため、不合格となると卒業できません)。なお、本課目は第5週(3月20日から、4年生の新学期が開始です。春節休みに続いて、卒業実習の期間があるためです)に開始し第12週に終了予定で、週2コマです。これはもちろん卒論執筆のかねあいのためです。 「日文写作3」は通常の作文の仕上げとなります。ここでは、大野晋氏の提唱された「縮約」と「中国人の日本語作文コンクール」(中国の大学日本語学科の過半が参加)応募作品執筆が授業内容になります。縮約は朝日新聞社説を素材に毎回これを行ないます。学生の縮約を返すとき、その模範案を提示・解説するのが前半で、次回の課題を提示・説明するのが後半です。これを毎回繰り返して、学生に読解力と同時に文章表現力を鍛えるのです。素材に社説を使用するのは、分量の関係と(1200字程度を400~391字以内に縮約)事実文として意見と事実の把握を理解させるためです。この縮約の間に作文コンクールの作文作成が入ります(本年はまだ課題が来ていませんが、おそらく3月半ばまでに来るでしょう)。第3稿まで書かせてから(およそ7・8週間をかける予定です)、最終応募作を選出します。一定以上水準と考える作品は応募させますから、年により数は異なります。 「日文写作1」は、テキストとして『日本語作文Ⅰ』1988年専門教育出版を使用します。最初の時間は「私の故郷」という題で作文を書いてもらい、次回からテキストに沿って課題の課を選びます。関連語句・言い回し文型と説明を加え、そして質問をします。本テキストは少し古く、日本での学習者用なので、当然ながら中国の実情にあった説明・質問や新語句を入れます。最後に、中国の学生用にアレンジしたより具体的な課題を示して、次週までの宿題とします。例えば、「私のアパート」とあれば、「「私の学生寮の部屋(紹介)」といった具合です。作文の授業は初めてなので、作文に馴れさせるとともに、やはり事実文を主体となるように課題を選びます。翌週は前に出した学生の作文の(文法・語句・字・表現とあらゆる)誤謬を例として示し、学生に正させ、説明を加えます。最後に、作品総体の構成・内容に関して、学生の作品の中からよい例と悪い例を示しながら、課題に沿った作文の基本骨格を提示します。これが評価の基準ともなるわけです。次週は新しい課題の提示となります。この繰り返しで授業は進みます。 大学本科3年と成人教育専科3年の「文化与礼儀」は同一内容の授業です。「文化と礼儀」となっておりますが、「日本のビジネスマナー」に特化した内容にしています。基本は、ビジネスにおけるマナーであって、社会一般のマナーではありません。社会人になるのもそう遠くないからです。テキストとして、キャリア総研『ビジネスマナー基本テキスト』2004年日本能率マネージメントセンター)を用います。最初の時間は、ビジネス概論ともいうべき、経済から考えるビジネスの基本的な考え方を解説します。ここで、何故に顧客第一にビジネスを行なわなければいけないか、その本質から考えさせるように説明します。次の週からテキストに入り、その順にしたがって授業をします。その際、必要によりテキストで触れていないことも示します。この場合、他の日本のビジネスマナーの本も参考にします。説明においては実際のマナーの形式よりも、何故その形式をとるのか、その理由を示すことで、マニュアルとしてのマナーではなく、ビジネスの本質からマナーの形が生み出されていくことを理解させ、臨機応変が出来るようにします。時には模擬実演させることもあります(例えば、電話の応対)。こうして、マナーの本質と応用を学ばせます。 以上が後期の担当課目の紹介です。 2月6日 在関東・西安交通大学日語系卒業生による来日先生歓迎の集い2月初め、愛知大学と東京工業大学との交流のために、西安交通大学日語系の趙剛・侯仁鋒・趙蔚青・張文麗の4人の先生方が来日されました。まず愛知大学を訪問され、昨5日(日)に新幹線で上京されました。そこで、関東在住の卒業生らが先生方の歓迎の集いを、昨日夜に新宿で行ないました。西尾先生が参加され、卒業生も1期生以下の8人が集まり、テーブルの関係で2卓に分かれて、大いに話が弾みました。その集いの写真を2枚、各テーブル毎に下に載せましたので、ご覧下さい。 11月28日 西南交通大学(その3)キャンパス間交通事情―成都雑感〔1〕―西南交通大学は、峨眉市峨眉山麓の峨眉キャンパス、成都市金牛区の九里堤キャンパス、成都市郫県犀浦鎮の犀浦キャンパスと、この順で設けられ、現在三つのキャンパスがあります。そこで、今回は各キャンパス間の交通事情についてお話しします。 現在の本校は九里堤キャンパスで、ここと他の二つのキャンパス間にスクールバスが運行されています。写真1左は本校犀浦キャンパス間の時刻表です。朝7時台から夜10時まで、だいたい1時間に1本運行されていることがお分かりと思います。基本的には、本校の発車時間は授業開始時刻の40分前とその中間、犀浦キャンパスの発車時間は授業終了時間の15分後とその中間となっています。現在のところ犀浦キャンパスには教職員宿舎がないため(建設中)、講義のために本校から教員が出かけるからです。この間は約20分を要しますから、これで大丈夫となります。料金は2元です。写真1右が犀浦キャンパスでの乗車風景です。一応、教職員優先となっていますから、学生はその後で、ちょうど学生たちが乗り込んでいるところです。バス手前の小さなプレハブが切符売り場兼運転手控え所です。その後方(バス左側)が待合所で70席あります。現在9台のバスが使用され、1回に1~3台(最初の1台は時刻表の10分くらい前に発車します)が運行されます。 しかし、スクールバスでは市内中心などに行くには不便です。何といっても1時間に1本ほどしか運行していないからです。それに市内中心などに行く交大路(西門)にある西南交通大学前バス停まで徒歩で10分近く歩く必要があります(この点は本校の学生も同様です)。この点が改善されました。この秋から栄軍校と九里堤公文站を結ぶ362路の公共バスの運行が始まったからです。362路は犀浦キャンパス正門前にバス停を設けました。ここから九里堤公文站まで10のバス停があり、20分あまりで結んでいます。料金は1元です。九里堤公文站は市内バスターミナルで、ここより市内中心部の塩市口・東大街へ行く56路や総府街へ行く3路が始発としています。その他各方面へ行くバスがここを始発としたり通ったりしています。例えば、塩市口を通り新南門汽車站(市外バスターミナル)に行く48路もここに止まります。なお、ここから西南交通大学前までは三つ目です。 最後に、本校と峨眉キャンパス間のスクールバスですが、朝8時と夕方17時との日に2回運行されています。料金は25元です。成都・楽山市間を高速道路の利用で、約3時間あまりで結んでいます。週末になると峨眉キャンパスからの成都市へのショッピングなどの利用の便などをもあり、土日には14時発の便があります。写真2が本校のそのバス停です。以上の写真に見るように、スクールバスには荷物室を有したエアコン付の観光用タイプの中型バスが用いられています。 10月6日 上海・蘇州在住の卒業生の集い国慶節の休暇を利用して、2日から5日まで、上海および蘇州に行きました。3日は上海で西安交通大学・湖北大学の9名の、4日は蘇州で西安交通大学・西南交通大学の4名の卒業生が集いました。国慶節を利用しての家族旅行などの人もおり、また連絡先が分からない人もいて、実際の上海や蘇州在住の卒業生は、今回参集した人数の倍以上と思われます。下に集った卒業生の写真を載せます。最初から集合写真までの9枚が上海ので、ご主人やお子さんとともに参加した人もいます。集合写真の次の3枚は蘇州ので、去年の卒業生の家で彼らが手料理を作り集いました。 |
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