2021年度記事目次

遅れましたが、『歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2021年度記事目次」を転載します。

辛丑年を終わるに当たって、2021年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、壬寅年がよいお年で。

O2.23 ソフィール踊り子1号

02.25 伊豆下田

02.27 河津桜2021

03.02 北条氏常磐亭跡―歴史雑感〔62〕―

03.04 大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

03.22 2021年鶴見川の紅桜

04.12 山木夜討ち(その四)―歴史雑感〔37〕―

04.20 桜の盛岡城跡公園

04.21 平泉の桜並木

04.24 衣川北岸の安倍氏・奥州藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―

05.02 鎌倉幕府第2代将軍源頼家は何時元服したのか―歴史雑感〔65〕―

05.28 旧藤本家住宅―歴史雑感〔66〕―

06.28 湯河原の不動滝

08.06 後北条氏小田原城遺址(その1)―歴史雑感〔67〕―

08.08 後北条氏小田原城遺址(その2)―歴史雑感〔67〕―

08.12 後北条氏小田原城遺址(その3)―歴史雑感〔67〕―

08.14 後北条氏小田原城遺址(その4)―歴史雑感〔67〕―

08.16 後北条氏小田原城遺址(その5)―歴史雑感〔67〕―

10.16 黒部峡谷と黒部ダム(1)―黒部峡谷

10.12 黒部峡谷と黒部ダム(2)―黒部ダム

11.13 青森・北海道の縄文遺跡(1)大森勝山遺跡―歴史雑感(68)―

11.15 青森・北海道の縄文遺跡(2))亀ヶ岡遺跡―歴史雑感(68―

11.17 青森・北海道の縄文遺跡(3)小牧野遺跡―歴史雑感(68)―

11.19 青森・北海道の縄文遺跡(4)三内丸山遺跡―歴史雑感(68)―

11.22 青森・北海道の縄文遺跡(5)三内丸山遺跡常設展示―歴史雑感(68)―

11.24 青森・北海道の縄文遺跡(6)三内丸山遺跡特別展示―歴史雑感(68)―

11.25 2022年の中国の祝日―中国雑感〔54〕―

11.26 青森・北海道の縄文遺跡(7)大船遺跡―歴史雑感(68)―

12.09 安達氏祖盛長は何故藤九郎とのみ称したのか―歴史雑感〔69〕―

12.31 2021年記事目次

(2022.12.17)

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2020年度記事目次

遅れましたが、『歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2020年度記事目次」を転載します。

庚子年を終わるに当たって、2020年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、辛丑年がよいお年で。(2022.11.05)

01.01 茅ヶ崎杉山神社初詣

01.06 創作された『平家物語』一谷合戦の熊谷直実先陣争い―歴史雑感〔52〕―

01.13 2020年西安交通大学日本語学科東北会新年会

02.24 武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔53〕―

02.28 湯河原梅林

05.10 源頼朝の偏諱を賜った武士(その一)―歴史雑感〔54〕―

06.30 蜂神社―歴史雑感〔55〕―

07.02 観自在王院―歴史雑感〔56〕―

07.06 毛越寺―歴史雑感〔57〕―

07.07 高館―歴史雑感〔58〕―

07.16 中尊寺―歴史雑感〔59〕―

07.18 柳之御所跡―歴史雑感〔60〕―

07.19 無量光院跡―歴史雑感〔61〕―

10.09 栗駒山と出羽三山(1)―栗駒山須川湖

10.11 栗駒山と出羽三山(2)―栗駒山須川高原

10.13 栗駒山と出羽三山(3)―羽黒山神社

10.14 栗駒山と出羽三山(4)―月山弥陀ヶ原

10.15 栗駒山と出羽三山(5)―湯殿山神社

11.29 箱根強羅公園

11.30 2021年の中国の祝日―中国雑感〔53〕―

12.31 2020年度記事目次

(2022.11.05)

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2019年度記事目次

歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2019年度記事目次」を転載します。

己亥年を終わるに当たって、2018年度(1~12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「2013年度記事目次」(2013年12月31日付)、「2014年度記事目次」(2014年12月31日付)、「2015年度記事目次」(2015年12月31日付)、「2016年度記事目次」(2016年12月31日付)、「2017年度記事目次」(2017年12月31日付)、「2018年度記事目次」(2018年12月31日付)です。

では、庚子年がよいお年で。

01.01 鶴見神社初詣

01.22 2019年西安交通大学日語系東北会新年会

01.27 熱海梅園

01.29 伊豆山神社―歴史雑感〔42〕―

02.26 2019年大倉山梅林

04.03 2019年三ツ池公園の桜

04.16 西安交通大学日語系1期生卒業30周年同窓会

05.06 大唐西市博物館―中国雑感〔45〕―

05.08 宝鶏先秦陵園博物館―中国雑感〔46〕―

05.10 周公廟―中国雑感〔47〕―

05.22 平林寺&法台寺―歴史雑感〔43〕―

06.11 厳島神社―歴史雑感〔44〕―

06.12 大山祇神社―歴史雑感〔45〕―

06.13 善通寺―歴史雑感―〔46〕―

06.18 再訪小机城―歴史雑感〔47〕―

07.05 長春―中国雑感〔48〕―

07.09 長白山北線―中国雑感〔49〕―

07.12 長白山西線―中国雑感〔50〕―

07.15 五女山―中国雑感〔51〕―

08.30 比企氏伝承地―歴史雑感〔48〕―

09.12 さきたま風土記の丘・上―歴史雑感〔49〕―

09.16 さきたま風土記の丘・下―歴史雑感〔50〕―

09.27 2019年9月27日九寨溝観光再度一部再開―四川雑感〔28〕―

10.25 論文作成について―成都雑感〔163〕―

10.28 再訪宝光寺―成都雑感〔146〕―

10.30 再訪大慈寺―成都雑感〔147〕―

11.02 2019年秋週末の春熙路―成都雑感〔148〕―

11.04 2019年秋週末の天府広場―成都雑感〔149〕―

11.30 2020年の祝日―中国雑感〔52〕―

12.09 2019年横浜公園の紅葉

12.25 妙本寺―歴史雑感〔51〕―

12.28 能登

12.31 2019年度記事目次

(2020.01.08)

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2018年度記事目次

歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2018年度記事目次」を転載します。

戊戌年を終わるに当たって、2018年度(1~12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「2013年度記事目次」(2013年12月31日付)、「2014年度記事目次」(2014年12月31日付)、「2015年度記事目次」(2015年12月31日付)、「2016年度記事目次」(2016年12月31日付)、「2017年度記事目次」(2017年12月31日付)です。

では、己亥年がよいお年で。

01.01 綱島諏訪神社初詣

01.30 西安交通大学日本語学科東北会新年会

02.10 相模国武士土肥実平の没年―歴史雑感〔38〕―

02.27 獅子ヶ谷横溝屋敷―歴史雑感〔39〕―

03.07 根岸森林公園の梅

03.10 2018年3月8日l九寨溝観光一部再開―四川雑感〔27〕―

03.28 鶴見川の桜と新幹線

04.12 西安交通大学日語系10期生卒業20周年同窓会

04.24 半坡博物館―中国雑感〔35〕―

04.28 漢長安城未央宮遺址―中国雑感〔36〕―

04.30 中国高速電車の商務座―中国雑感〔37〕―

05.02 魚鳧古城遺址―成都雑感〔160〕―

05.06 再訪永陵博物館―成都雑感〔161〕―

05.08 再訪宝墩古城遺址―成都雑感〔162〕―

06.02 熊野古道と熊野三山(上)―熊野中辺路と熊野本宮大社―

09.08 拙著『鎌倉幕府成立期の東国武士団』出版のお知らせ

10.05 西湖―中国雑感〔38〕―

10.06 銭塘江大逆流と西湖月見―中国雑感〔39〕―

10.09 黄山(1)―中国雑感〔40〕―

10.12 黄山(2)と屯渓老街〔41〕―

10.14 朱家角古鎮―中国雑感〔42〕―

10.16 外灘と黄浦江ナイトクルーズ―〔43〕―

11.30 境田貝塚―歴史雑感〔40〕―

12.07 2019年の中国の祝日―中国雑感〔43〕―

12.12 都築中央公園の紅葉

12.18 鎌倉史跡散策―歴史雑感〔41〕―

12.31 2018年度記事目次

(2019.03.01)

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『歴史と中国』のgooブログへの移管

2011年10月初旬以来、当地からアクセス不能状態が続いています。

本日、日本に帰国したので、アクセス可能となりました。そこで、2011年10月9日付「周口店北京猿人遺址(遺跡)―中国雑感〔10〕―」以後、『歴史と中国』をgooブログ、http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512、に移管したことをお知らせします。

(2012.01.16)

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北京行

本日は国慶節です。この休みを利用して、2日から4日まで、北京に行ってきます。2004年以来です。

(2011.10.01)

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成都に戻る

昨日(2日)、成都に戻りました。ANA便は台風の関係になどで、短縮コースを飛行し、ダイヤより早く22時前に成都空港に着きました。成都空港の税関検査では、すべての乗客の荷物をX線(1台のみ)にかけるため、行列待ちでした。

成都は連日30度を越しているようで、まだ夏です。

(2011.09.03)

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『吾妻鏡』人名表記の史料的価値―歴史雑感〔10〕―

『吾妻鏡』人名表記の史料的価値

金澤 正大

阿部猛編『中世政治史の研究』2010年9月日本史史料研究会は、院政期から織豊期まで40編の論考を載せた、意欲的な論文集である。しかし、残念なことに、鎌倉期に関する論考中で、『吾妻鏡』の史料操作において、初歩的な疑問が見られることである。『吾妻鏡』が鎌倉前中期の基本史料であることはいうまでもない。だが、『吾妻鏡』は編纂物であり、八代国治氏『吾妻鏡の研究』1913年吉川弘文館、以来の諸先学が論じているごとく、幾多の誤謬・錯簡(中には作為的なものも)がある。従って、絶対的に信用できる史料ではなく、やはり厳密な史料批判が必要なことは周知のことである、

では、その諸論考における初歩的な疑問とは何であろうか。それは、『吾妻鏡』の人名表記を基本的に正しいとして、これのみを根拠に当該人物の官職を論じていることである。

具体的な例を出そう。佐藤雄基氏「公卿昇進を所望した武蔵守について」において、

建保六年七月八日条の行列の記事には、前駆の中に「民部権少輔親広」という表記が見える。この記事から七月八日の時点では親広は武蔵守ではなく(頁99)

と、この官名表記により大江親広の武蔵守の当該時期の現任を否定している。すなわち、この官名表記が正しいとされるのである。

この実証は正しいであろうか。氏自身が表二(頁118・9)に示しているように、将軍家政所下文の親広の署判は、建保四(一二一六)年八月十七日「民部権少輔大江朝臣」、建保五(一二一七)年六月二十一日「前遠江守大江朝臣」とあって、建保五年には民部権少輔を辞めていたことになり、民部権少輔ではなく、以前任官していた遠江守(建暦二〔一二一二〕年から建保三〔一二一五〕年にかけて。表二参照)を前官として、散位の表記としたのである。すると、先の『吾妻鏡』の官名表記は「前遠江守」「前遠州」となるはずである。すなわち、『吾妻鏡』の官名表記自体が正しいとはいえないことをこのことは示している。従って、上記の官名表記のみをもってなされる論証は不十分といえ、実証とはいえないのである。

次いで、氏は、

『鏡』建暦三年五月二日・三日条の和田合戦の記事に、義氏が和田方の勇将朝比奈義秀と戦って名を挙げたという記述が見えるが、そこでは「足利三郎義氏」「上総三郎義氏」と表記されており、無官の三郎に過ぎない。(頁100)

と、当該時期での足利義氏の任官(武蔵守)否定の根拠を、その人名表記に求めている。極めて素朴に『吾妻鏡』の人名表記を疑っていないのである。

これは正しいであろうか。その人名表記は『吾妻鏡』編纂における作為、すなわち誤謬であることは、拙稿「十三世紀初頭に於ける武蔵国国衙支配―武蔵守北条時房補任事情―」『政治経済史学』第二百二十二号一九八五年一月において、論証したところである。残念なことに、実朝将軍期の武蔵守を論じた氏の論考には、拙稿を見た気配が全く見られず、いわば先行論考無視の論述といわざるをえない。

また、『吾妻鏡』建保元(建暦三・一二一三)年同日条の人名表記を根拠として、足利義氏の元久二(一二〇五)年八月九日の任武蔵守を否定しているのは、前田晴幸氏「鎌倉幕府家格秩序における足利氏」(頁177)も同様である。しかも氏はこれに加えて、拙稿「武蔵守北条時房の補任年時について―『吾妻鏡』承元元年二月廿日条の検討―」『政治経済史学』第百二号一九七四年十一月を註として挙げ、

義氏の武蔵守補任時期を、(中略)金澤正大氏は建永二年(一二〇七)正月十四日とする。(頁177)

と本文で述べているのは、本当に拙稿を読んだのか疑うものである。何故ならば、拙稿は北条時房の任武蔵守年時が、承元元(建永二)年ではなく、承元四(一二一〇)年であることを論証したものであり、拙稿には足利義氏を一切記述していないからである。

以上のごとく、『吾妻鏡』の人名表記を疑うことなく、これのみを根拠として、当該人物の官職を論じるは実証不十分であることが理解できよう。

『吾妻鏡』の人名表記に、実際の官職(無官も含む)に関して誤謬がある例を二つ示そう。一つは、無官表記の時にすでに任官していた例である。北条有時がそうである。先ず、有時の任官歴を見よう。『関東評定衆伝』(『群書類従』第四輯補任部)によると、次の通りである。貞応元(一二二二)年十二月二十一日・任大炊助、貞永元(一二三二)年六月二十九日・叙爵、同日・任民部少輔、嘉禎三(一二三七)年七月十三日・罷民部少輔、同年十一月二十九日・任駿河守。

『吾妻鏡』での有時の人名表記は次の通りである。承久三(一二二一)年五月二十二日条に「陸奥六郎有時」と初見して以降、元仁元(一二二四)年六月十八日条に「同(陸奥)六郎」と所見するまで、無官を意味する「陸奥六郎」表記なのである。嘉禄元(一二二五)年五月十二日条で「大炊助有時」と初めて官名表記となるのである。すなわち、貞応二(一二二三)年十月十三日条と元仁元年条の「陸奥六郎」の無官表記は誤謬なのである。これを根拠に、有時の無官を論じるわけにはいかないのである。なお、嘉禎三年六月二十三日条に「駿河守有時」と見え、官名表記においても誤謬が見られるのである。

もう一つは逆に、無官にかかわらず官名表記の例である。安達景盛がそうである。景盛の官暦は『吾妻鏡』の卒伝記事、宝治二(一二四八)年五月十八日条により、建永二(一二〇七)年月日(十月二十五日改元し承元元年)・任右衛門尉、建保六(一二一八)年三月六日・任出羽権介(秋田城介)、同年四月九日・叙爵。

『吾妻鏡』での景盛の人名表記は次の通りである。正治元(一一九九)年七月十六日条の初見から正治二(一二〇〇)年二月二十六日条までは基本的に「安達(弥)九郎景盛」である。これが、建仁三(一二〇三)年十月八日条に「安達九郎左衛門条景盛」と、初めて官名表記が出現する。以後の所見は官名表記(但し、左衛門尉と右衛門尉が混合している)が基本となる。これに対して、建保六年十六日条に去六日の秋田城介の任官記事があり、これに対応して、以後の所見では同年六月二十七日条に「秋田城介景盛」と見えるように、基本的に「秋田城介景盛」表記となる。

以上、二つの例の人物は共に評定衆を勤めた(『関東評定衆伝』)幕府重臣である。かかる人物であっても人名表記は正確に官職表記を反映していないのである。すなわち、『吾妻鏡』の人名表記は当該人物の官職を正しく反映しているとはいえないのである。当然ながら、『吾妻鏡』の人名表記をもって当該人物の官職を論じる場合、特に正確な日時を論じる場合、『吾妻鏡』のみを根拠として論じてはならず、厳密な史料批判が必要なことが改めて痛感されるのである。

〔付記〕 本雑感は、論考批判ともなり、本来は研究ノート的ともすべき専門性を有しているので、デス・マス体ではなく、論文文体のダ・デアル体としました。

(2011.08.08)

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全日空NH948便の『カンフーパンダ』塗装機―成都雑感〔116〕―

2011年6月19日、全日空が日本の航空会社としては初めて成田成都間の直行便を開通しました。NH947便で、成田発15時35分・成都着22時20分です。翌20日、NH948便が成都~成田へ飛び立ちました。成都発9時5分(木・土8時55分)・成田着15時(14時50分)です。今回の帰国に当たっては本便を利用しました。内陸の直行便では、旧日本エアシステムの成田西安便、旧中国西南航空の成都成田便以来です。

本便就航に当たって、全日空は本便運行機ボーイング737-700に、四川省がパンダの生息地であることから、夏公開の米アニメ映画『カンフーパンダ2』のキャラクター塗装の機を運航させました。今回の私の搭乗機はその塗装機だったので、ここに写真で紹介します、

写真1は、成都双流国際空港でボーディングブリッジに付けられたNH948便の左側面です。

写真2は、右側面です。

写真3は、ボーディングブリッジ内から右側面をみたものです。

写真4は、成田では沖止めでしたので、降機後に右側面を撮ったものです。ご覧のように、『カンフーパンダ』の主人公ポーのキャラクタ-を描き、この右に「成田←→成都就航」とあります。

なお。6月16日からは中国国際航空もプログラムチャーター便形式で成都成田直行便を就航させました。この便は次の通りです。最初は木・土曜日の周2便でしたが、7月5日から火曜日が加わり、週3便運行です。

CA413 成都12時10分 成田17時40分

CA414 成田19時 成都23時20分

(2011.07.09)

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夏休み帰国

本日、夏休みの帰国をします。
今回は、先日に開通したANA直行便を利用します。
旧中国西南航空以来の直行便利用です。
戻りは9月頭の予定です。

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2011年西南交通大学日本語学科卒業答弁会―成都雑感〔115〕―

2011年6月16日(木)および19日(日)の両日をかけて、本年度の卒業答弁会を行いました。答弁参加4年生は42人です。16日午前は学部答弁会で、16日午後・19日は2班に分かれて学科答弁会でした。この内、私の参加した学部答弁会と二班答弁会の22名の卒業論文題目を示します。なお、※は私の指導担当した学生(4人)です。

〔言語類〕7編

発音から見た日本語の美しさ

日本語複合動詞の習得法について―「取る」をつける複合動詞を例として―

日本語感情形容詞の特徴と表現

中日両国語における「的」の構造対比研究

教育的な観点に基づく日本語オノマトペ研究

日本語の敬語の人間関係に対する重要性※

非文法的な日本語誤用についての考察※

〔日本文学類〕2編

『ノルウェイの森』から見た孤独感

『ノルウェイの森』における物事の表現について

〔日本文化類〕13編

東日本大震災中に現れた日本民族の秩序性についての原因分析

日本の猫についての文化的研究

華道から見る日本人の美意識

日本武士の切腹自殺における原因分析の試み

中日幼児教育に関する対照研究

映画『おくりびと』から日本人の死生観を見る

美少年の崇拝からみた武士道の死生観

『それから』における知識人像―主人公の長井代助を中心に―

中日における結婚形態の変化の対照研究―婚姻における女性の地位の変化から―

日本のお笑いブームについて

劉備と徳川家康の対比研究

手塚治虫の美学世界への探索※

『千と千尋の神隠し』の登場者をめぐる関係について※

(2011.06.24)

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青城後山・虎嘯岩「5.12地震遺址」―成都雑感〔114〕―

2008年5月12日(月)14時28分、阿壩西藏族羗族自治州汶川県映秀鎮付近を震源地とするM8.0の地震が起こりました。四川汶川大地震です。死者行方不明者が8万人を超える大震災となりました。本地震は各地にその傷跡を残しました。これらを後世に伝え、教訓とするため、「5.12地震遺址」として保存しています。この一つとして、先日訪れた都江堰市泰安鎮の青城後山のそれをお見せします。

 

都江堰市は、震源地から20km足らずの距離で、市域一帯が甚大な被害を受けました。世界文化遺産の都江堰・青城山もそうです。写真1が山崩れの全容跡です。200m高の虎嘯岩頂が崩壊し、約7haの杉林をなぎ倒し、飛泉溝の遊歩道を100mにわたって埋めました。中央左手の石に「5.12地震遺址」と石刻(青色)されています。

写真2は、崩壊した最大の岩石で、幅8×8.5m・高5.2m・推定重量約千トンという巨石で、崩落した場所にそのまま保存しています。谷の流れを塞いでいたことがお分かりでしょう。

(2011.05.21)

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成都東站(駅)開業―成都雑感〔113〕―

2011年5月8日(日)、成都東站(駅)が開業しました。初日の人出は約6万人(内乗客1万人)でした。新たな駅として、成都市の中心駅となり、基本的に列車・電車の発着は成都站(火車北站)から本駅に移ります(開業当初は、10時9分発のK578長沙行から22時40分発のK139南寧行きの日8本です)。本駅は、市内東南の沙河鋪地区に位置し、従来の道路でいうと、迎暉路の東三環路五段寄りの南にあります。開業当初の市内からの交通は、2A路(火車北站)・2B(五桂橋公文站)・91路(空港基地・石羊場公文站経由)・101路(九里堤公文站)の東広場行と、47路(金沙公文站)・121路(成都体育学院航空港校区)の西広場行、6路線です。なお、市内バスの停留所名は、貨物駅として成都東站が従来からあるので、成都東客站東or西広場といいます。地下鉄2号線(西広場地下、仮駅名・沙河鋪)が明年に開業予定で、そうなると市内中心の天府広場と直結します。それと、6月には東広場に南接して「長途客運枢紐」(長距離バスターミナル)が開業予定です。

成都東駅は14面のプラットホームを有し、西から1站台(1番線)~26站台まである、大規模駅です。建設中の高速電車専用線(成綿城際線、将来西安へ延長)をはじめ、成都市に入るすべての路線が繋がります。駅の構造は3層で、地下1階が到達層で東西広場連絡通路・「到達」(到着出口)、1階が站台層でプラットホームと西広場側入口、2階が出発層で侯車処(待合所)・検票口(改札口)・售票処(切符売り場)などと東広場入口となっています。すなわち、駅舎はプラットホームを跨いで東西に建設されています。そして、駅舎の東西にそれぞれ東広場(実際は2階)・西広場があります。広場の地下には市内バス・タクシー乗り場、駐車場が設置され、東広場とその地下から南に長距離バスターミナルに行けます。

写真1は、西広場から見た駅舎全景です。駅舎入り口の左には自動售票処(自動券売機は未設置)があり、駅舎溝内に入らなくとも切符購入ができるようになっています。そして、駅舎手前下に左右にポールの立っている間が地下鉄・東西広場連絡通路への下り口です。なお、西広場の地下広場は、東広場それと異なり、まだ未開放です。

写真2は、駅舎2階の西広場寄りから東に駅舎内を撮ったものです。右手前が自動改札機を備えたB4-5検票口(ホーム南側)で、現時点ではすべての発着列車は2~5站台を使用しています(本站台の出口のみ自動改札未対応)。ホームへの階段にはガラスの仕切り扉があり、改札時以外は閉鎖されています(到着口も同様)。ご覧のように、待合スペースが広くなく、将来的には不十分ではないかと思います。この駅舎溝内には、KFC・喫茶室が営業しており、レストランも準備中です。なお、軟席待合室は現時点ではありません。

最後に、フォトアルバム「成都・成都東站(駅)」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkncOziTT8fvU_T2Qです。

(2011.05.17)

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楽山大仏フォト―四川雑感〔14〕―

2011年4月21日(木)、大学外事処の日帰り観光で、久しぶりに世界文化遺産の楽山大仏に行ってきました。楽山大仏に関しては、観光記がWebサイト上にも多数あり、中国についての観光案内書にも必ず取り上げられているので、ここではこれについては述べません。2009年夏に購入したペンタックスK-7で撮った写真を、フォトアルバム「楽山大仏」https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkWxacKgQVeMw2LWwでアップしましたので、ご覧下さい。

写真は、下から見上げた楽山大仏です。DA17-70の焦点距離34mm相当(35mm換算)で、1/50・f4・ISO100でした。

(20011.04.22)

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成都セブンイレブン錦天国際店―成都雑感〔112〕―

2011年3月17日、成都市にセブンイレブンの1号店がオープンしました。日本のセブンイレブンとイトーヨーカドーの共同出資による柒-拾壹(成都)有限公司の直営店です。錦天国際店(太升南路288号)がそれで、玉沙路・德盛路(東西)と太升南路・太升北路(南北)との交差点の西南角に位置する錦天国際(マンション)の德盛路側の1階にあります。市中心の天府広場から東北に約1キロ半の距離です。最寄りのバス停は太升路口站(3・5・18・45・53・61・166・902路)です。年内に直営店を50店舗展開し、以後フランチャイズ化し、最終的には7~800店舗を目指すそうです。

写真1は、錦天国際店の外観です。本店の德盛路対面(北)には日本人ツァー客のよく利用する天府陽光酒店(4星)があります。

写真2は、日式弁当・サラダ類の棚です。

写真3は、店内奥から入口への店内風景です。左の壁側に奥から快餐飯・肉まん・おでん類などが並んでいます。

写真4は、購入した快餐飯です。麻婆豆腐など成都人におなじみの10種類ほどの菜(4.5~8元)から選択でき、私のは2品で11元です。成都市にはWOWO便利店などの中国系のコンビニはありましたが、別当類はなく、セブンイレブンはこの点を主力とします。

(2011.0418)

〔追記〕  成都セブンイレブンのサイト(中国語)が立ち上がりました。URLはhttp://www.7-11cd.cn/です。(2013.12.04)

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成都日本商工クラブ総会―成都雑感〔111〕―

2011年4月8日(金)19時過ぎから、成都日本商工クラブ総会が成都香格里拉大酒店(濱江東路9号)で開かれました。今回、事前に場所と日時を知りえたので、初めて参加しました。活動報告によると、現在、加盟会員機関(企業・団体)は88機関で、個人会員は18名です。2010年度の新規会員は16機関で、退会は3機関です。このことから、昨年に多くの企業が成都市に進出したことを示しています。参加者は2百人ほどで盛会でした。長く成都に在住していましたが、西安の時とことなり、企業関係者との接触をしてきませんでしたが、今後は商工クラブの活動にも参加し、接触を深めるつもりです。なお、個人会費は年350元(+入会金25元)です。

(2011.04.09)

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2011年のDVDソフト事情―成都雑感〔110〕―

成都市内で現在出回っているDVDソフトは次の通りです。MPEG-2圧縮による通常の物と、MPEG-4圧縮による高圧縮の物とです。前者は、片面1層の「DVD」と片面2層の「DVD-9」です。これらは映画ソフトが基本です。もちろん長尺ものは2枚組になっています(例示、「アラビアのローレンス」)。後者は片面2層の2枚組からで、これにも2種類あります。旧来からあるのが「DVD-9」です。昨年から新規に出回りだしたのも「DVD-9」ですが、パッケージが通常の物と同じで、旧来からのより小さくなっています。これらはドラマソフトなどが基本です。以上、4種類です。順に写真でパッケージをお見せします。

写真1は、通常の「DVD」です。価格は6~5元です。いずれもDVD自体は日本での発売版をコピーした物です。ですが、中島哲也監督「告白」(2010年)のパッケージ意匠は中国で独自に仕上げた物です。ロン=ハード監督「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年)にはもちろん日本語字幕があります。

写真2は、「DVD-9」です。価格は9元です。西川美和監督「ディア・ドクター」(2009年)はパッケージ意匠が日本発売版のコピーですが、呉宇森監督「赤壁」(2008・9年)はパッケージの上部に「Blu-ray Disc」のマークがあり、一見ブルーレイディスクに見えます。しかし、通常のディスクです。最近はこのような、ブルーレイ版をコピーした「DVD-9」が一般的で、その過半にはサントラ盤が別ディスクで含まれています(ブルーレイ版も少数ですが昨年から登場し、1枚25元です)。この「赤壁」はPart1・2を2枚組み(18元)にした完全版で、さらにサントラ盤が別ディスクで付属しています(サントラ盤の有無は価格に関係しません)。なお、日本語字幕・音声付きです。

写真3は、高圧縮の旧来からの組物の「DVD-9」です。価格は2枚組で7元(ⅰ枚3.5元)です。パッケージが縦長となっています。写真に示したのは昨年秋ドラマのフジテレビ「フリーター家を買う」とTBSテレビ「99年の愛」です。日本のドラマ(ワンクール)の場合、2枚組が基本で、1枚に5~6話収められているのが普通です。高圧縮技術を利用しているので、大河ドラマを2枚組に収録されているのもあり、そうなると画質はかつてのビデオ以下となります。最新のドラマは、放送終了後、1~2週間で出回ります。これは日本での放送そのものをコピーしているからです(ニュース速報の字幕が画面に入ります)。旧作の場合、日本での発売版からのコピーのもあります。

写真4は、昨年より出回りだした「DVD-9」組物です。価格は2枚組14元(1枚7元)です。前の組物と違うのは、パッケージが通常の物と同じ大きさで、上部に「Blu-ray Disc」のマークがあることです。もちろんブルーレイディスクではありません。圧縮技術の進歩により、旧来からの組物より概して画質がよくなっています。日本テレビ「デカワンコ」は3月26日(土)に終了した冬ドラマで、31日に購入したばかりの物です。日中合作・NHK「蒼穹之昴」(2009年)は中国の中央電視台で放映された版で全28集です(残念ながら日本語字幕はありません)。3枚組ですが、タイトル部分は最初と最後のみで、途中回は省略され、収録時間の節約が図られています。

以上、これら4種類のリージョンコードはフリーが基本的で、テレビ方式は日米のものがNTSC、中国のものがPALが基本です(中国発売の正規版はリージョンコード6・PALです)。

なお、カテゴリー「映像」には、以前のDVD事情に関する記事がありますから、参考にして下さい。

(2011.04.02)

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鍋魁―成都雑感〔109〕―

成都の小吃の一つに「鍋魁」(空心鍋盔)があります。陝西省西安市の小吃「肉夾馍」と似かよった中国版ハンバーガーとでもいったものです。麺類店に付随して売られているのが普通ですが、春熙路などは路上店でも売っています。その店の一つとして、以前紹介した「成都担担麵・総店―成都雑感〔30〕―」(2006年11月26日付)隣の「鍋魁王」(人民中路一段30号)店を紹介します。

写真1は、店の外観で、ご覧のように隣奥が成都担担麺・総店です(なお、歩道手前にパンダのイラスト入りの箱状のものはゴミ箱です)。総店内のカウンターで食券を求め、店の前に立っている客の所の小さな窓口から店員に食券を渡します。鍋魁の種類は、鍋魁夾鹵肉6元・鍋魁夾耳片6元・鍋魁夾鶏片7元・鍋魁夾青椒肉絲6元・鍋魁夾三4.5元・鍋魁夾頭 絲4.5元・鍋魁夾凉粉4.5元・鍋魁夾瀾肉豇豆5元の8種類です。

写真2は、店員が馍に具を入れているところで、その後タレを入れて絡ませます。具にはご覧のように何種類かあります。

写真3は、鍋魁を開いて写したものです。今回のは鍋魁夾鹵肉です。豚三枚肉を塩煮込みしたのをぶつ切りにして挟み込んだもので、タレも醤油系で、四川料理に多い麻辣系味ではありません。むしろ味は肉夾馍に似たものがあり、それよりあっさりしています。

写真4は、この日は成都に珍しく快晴なので、店の南の天府広場に出て食する前に、毛沢東像を背景に撮ったものです。ちょうど、噴水があげられて、雲一つないピーカン天気です。

なお、担担麺は4元(1両)です。

(2011.03.05)

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冬休み帰国

本日、冬休みで日本に帰ります。去年から利用している、北京乗り継ぎ羽田便です。

戻りは2月25日に予定しています。

(2011.01.13)

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成都市内のチベット族街―成都雑感〔108〕―

成都市の観光地である武侯祠の南近くに、チベット族が多く居住する地区があり、ここにチベット族関連の商店・レストランなどがあります。武侯祠横街と洗面橋横街です。ちょうど、ここに所要があったので、ついでにスナップをしてきた写真をお見せします。

写真1は、洗面橋横街東寄りの華西医院西藏(チベット)成辨分院です。この当たりから西へとチベット族関連の店が並びます。この医院はその名の通りチベット医学病院です。医院の左に見えるオレンジの看板の店は「阿佳拉藏餐」というチベット料理レストランです。

写真2は、写真1に見える白い乗用車の先のところから撮った腰だめスナップです。成都市内でよく見かける成都式ポテトフライを求めるチベット僧です。

写真3は、さらに西に歩いたところで撮ったもので、チベット族関連の店が軒を連ねています。左側にはチベット族の女性の後ろ姿が写っています。ご覧のように、店の表示は漢字・チベット文字の併記です。

写真4は、洗面橋横街と武侯祠横街の十字路で、武侯祠横街を北へと武侯祠の方向へ横断するチベット僧をとらえたものです。

写真5は、その十字路北東角の「索啦雅卓」店をとらえたものです。チベット僧を含め何人かのチベット族の方が写っています。奥の道が洗面橋横街です。

最後の写真6は、十字路から武侯祠へと歩き、武侯祠横街を南へと撮ったものです。左側に見えるのが、西藏自治区人民政府駐成都辨事処の入口です。ここから南へと武侯祠横街と洗面橋横街にチベット族関連の店が広がります。

以上の写真をご覧のように、この街ではチベット族の方がごく当たり前に生活しています。なお、洗面橋横街と武侯祠横街とに囲まれて、南の二環路南四段までが西南民族大学のキャンパスです。

(2011.01.08)

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